校長室だよりNO3
食とは・・・命をいただくこと
6月は「食育」月間,毎月19日は「食育の日」です。 食育とは・・・ 『生きる上での基本であって,知育,徳育及び体育の基礎となるべきもので,様々な経験を通じて,「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し,健全な食生活を実践することができる人間を育てること。』(「食育基本法」より) 私は,給食をいただきながら,食の大切さとありがたさを日々感じておりましたが,この6月に,あらためて食のもつ重要性を認識したことが二つありました。
一つ目は,5学年の野外活動です。泉ヶ岳での2泊3日の野外活動では,1日目と2日目の夕方まで5学年の子供たちと共に過ごすことができました。仲間に声を掛け合い,励まし合い,友達に寄り添い,時には友達のリュックを担ぎ,参加者全員で泉ヶ岳のかもしかコースを登山することができました。その子供たちの姿は,言葉で言い尽くせないほど,すばらしい姿でした。さて,下山を終え,ぺっちゃんこになったお腹の虫もグーグー鳴る夕方,少年自然の家での夕食となりました。私は,そこで,びっくりしたとともに感動しました。子供たちの食べっぷりのいいこと!よく食べます。そして,きれいに食べます。残菜がほとんど出なかったのです。私は,高学年担任が多く,また,引率として野外活動に行く経験が多かったのですが,今年の5学年の残菜の少なさにはびっくりしました。と同時に感動したのは,片づけの手際の良さとチームワークの良さです。本格的な登山は初体験の子供たち,相当疲れています。係や担当がいても,仲間と協力して片付けることは十分承知していても,頭も体も思うように動かず,食べこぼしや片づけの不備があったり,もう一度皆でやり直したりすることがあっても仕方がありません。ところが,栗生小の5年生の子供たちは,しっかり食べ,皆で協力してきちんと片付けることが,初日からできたのです。「えっ,これだけの残菜で終わり?」と残菜の入れ物を持って立ち上がった私の目の前には,きれいに片付けられ,きれいに拭かれたテーブルだけがあったのです。5年生すごい!と感動しました。
二つ目は,6学年の修学旅行です。会津若松への1泊2日の旅行でした。1日目の昼前に,鶴が城を出発点に,グループ毎の自主研修が始まりました。グループ毎の研修ですから,目的地までの行く道順も使用する交通手段も,そして,食事も,すべて,グループで協力して行わなければなりません。目的地にむかって暑い会津の町を一列になって歩いている姿,赤べこの絵づけや焼き物の研修に真剣に取り組む姿,頭を付き合わせて相談している姿,体験を終えてお店の方に「ありがとうございました!」と帽子を取って深々と頭を下げる姿,どの姿も,愛おしいと思うとともに,初めての町で胸張って活動する姿には,頼もしさを感じました。さて,ホテルでの夕食,すごい食欲でした。結構な品数の食事でしたが,ご飯等のおかわりに次々と手が挙がります。そして,私がさらに感動したのは,食べた跡です。なんときれいなことでしょう。きれいさっぱり何も残していないというお膳も多かったのですが,それよりも,食べこぼしがなく,残したものの置き方,食べ終えた箸のそろえ方やお皿・蓋付きの椀や串(みそ田楽の)などのそろえ方が実にきれいなのです。これは,次の日の朝食でも同じでした。6年生,すごい!見事!と感動しました。そして,全員ですべての行程をやり遂げた6年生のパワーに圧倒しました。
栗生小学校の子供たちは,「食」ということを,心から大事にしている子供たちだとあらためて思いました。誰にも好き嫌いはあります。同じ兄弟姉妹で同じ環境に育っても,味の好みは違います。大切なことは,心でいただくと言うことだと思うのです。量が多ければ残しますし,苦手な食材であればやはり全部食べることは無理です。大事なことは,食事を作ってくださった方に感謝し,少しずつ食して,自分の体の血となり肉となる,つまり,命をいただくことにあるわけです。それは,食事の仕方や食事の片付けに表れます。完食したこともすばらしいことですが,食事をしたその足跡のすばらしさに,私は感動しました。この「食」を大事にする気持ち,そして,しっかり食べる姿勢が,大行事をしっかりやり遂げることの原動力となっているのです。
4時間目も終盤のころに出会う子供たちのちょっぴり元気のない顔(これはエネルギーが切れかかっているのですが)・・・・・ところが,給食を終えて,下膳をしに行った1階の給食室で,「ごちそうさまでした!」と元気に挨拶する顔は,本当に素敵です。「ごちそうさまでした!」の元気な声と共に,にこにこと外へ遊びに向かう子供たちの姿,うんうん頭を使って学習に取り組む子供たちの姿,ねばり強く最後までがんばろうとする姿,これらを支えるのが「食」であると,あらためて考えた6月でした。(2007.6.28 発行)