調べるってどんなこと?

 連休明け,6年生の各クラスで,「調べるってどんなこと?」という授業を2時間ずつ行いました。題材は,私が好きな「狛犬」です。実は,この授業は,縁があって沖縄の県立高校の生徒向けに行ったもので,資料も少し難しかったと思うのですが,ほぼそのまま実施してみました。

 1時間目は,「狛犬」がどのような生き物なのかを考えました。辞典で調べても,その定義は曖昧な場合が多く,「犬なの?ライオンなの?それとも,どちらでもないの?」という疑問が沸いてきます。そこで,資料を読み取って自分なりの定義をしてみるというのが授業の内容でした。探し当てた1つの資料に書かれていることを鵜呑みにするのではなく,「本当にそうなのか?」という思いで,他の資料に当たってみることが大事だし,何よりも「自分自身が納得できる答え」をつくることに価値があるということを実感してもらえたのではないかと思っています。

 2時間目は,似ているけど実に多様な狛犬を,視点を決めて「分類」する活動を行いました。視点の定め方で,分類の仕方も多様になって面白いのですが,分類しただけでは,それ以上のことは何も分かりません。でも,これを地図や年表など,他の資料と重ね合わせることで,地方ごとに特色があることや,その時代に生きた人々の願いが反映されていることなどが分かってきます。

 こんな感想を書いてくれた子がいました。「分からないことがあったら,何かの観点に従って分類してみるということが大切だと思いました。また,十分調べたなと思ったら自分の考えや感想なども考えたらいいなと考えました。もっと調べてみたいです。」この授業で,「調べる」ことに関心を持ってくれる子が増えたらいいなと思っています。

 さて,「もっと調べる」という点から言うと,授業中,何人かの子が「シーサーも同じなのか?」という疑問を口にしていました。狛犬とシーサーを比べてみるのも面白いと思っています。我々が一口に「シーサー」といっているものも実は様々で,「ヤチムン(焼き物)シーサー」「漆喰シーサー」「石獅子(村獅子)」などの種類があります。いずれも,発生源は,古代オリエントのライオン像と思われ,そういう意味では,狛犬と先祖は同じと言うことになるでしょう。ただ,狛犬は,「獅子」と「狛犬」の組合せなので,その点は,明確に違っています。また,狛犬は,魔除けの意味合いが強いようですが,シーサーは,魔物を追い払う魔除けではないようです。(村獅子の場合,「返し」の意味が強いのですが)邪悪なものをのみ込んで浄化し,共生する,そういう心を持ったものらしいのです。そういう考え方の背景には,かつての琉球王国が海洋国家で,数多くの国や地域の人々と交易を行っていたため,異国の文化や価値観を恐れたり,拒絶したりするのではなく,自分たちの価値観とうまくごちゃまぜ(=チャンプルー)にしてきた,そういう文化があるのではないかと思っています。

 シーサーは,多様性を受け入れる沖縄のチャンプルー文化の象徴と言えるのかもしれません。そして,その心は,本校で大切にしたい,「温かい心」に通じていると私は思っています。

狛犬の再定義

(文責:校長)
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