仙台市歴史民俗資料館

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 当館では、平成27年3月31日付けにて『資料集第13冊-絵葉書でみる仙台2-』(\500)を刊行いたしました。

 本書では、明治時代末期から昭和初期頃にかけての仙台の街並みの風景や、花見や七夕などの祭礼の様子を写した当館所蔵の絵葉書を153点掲載しており、全80ページと、大変盛りだくさんな内容となっております。

 ここでは、より多くの方々に昔懐かしい仙台の風景をご覧いただけるよう、本書の一部をご紹介いたします。これを機に、ご興味・ご関心をお持ちいただければ幸いです。


 なお、当館刊行物は館内での販売と、郵送での販売を行っております。
 刊行物の種類・郵送でのご購入方法については、こちらをご覧ください。



                    仙台停車場【昭和初期】
画面右手は鉄道の停車場(仙台駅)。正面には宮城電鉄(宮城電気鉄道)の地下ホームへと続く入口の建物が移る。宮城電鉄は大正14年(1925)に開業し、仙台から西塩竈(しおがま)を結び、昭和3年(1928)には石巻まで開通。昭和19年(1944)に国有化され仙石線(せんせきせん)と呼ばれる。




                       復興の仙台
                復興後一新せる南町通り【戦後】

昭和20年(1945)7月10日未明の仙台空襲により、仙台の町は第2師団司令部のあった仙台城二の丸から仙台駅にいたる市街地の中心部のほとんどが焼かれた。






              東一番丁十字街【昭和7年(1932)以降】
 画面は仙台城の大手門から東にのびる大町と南北に続く東一番丁の交差点から、大町の東方面を撮影したもの。画面右に昭和7年(1932)建築の藤崎(ふじさき)デパート、左には西内(にしうち)楽器店が入っている大内(おおうち)ビルが写る。大内ビルの東(画面では奥)の洋館は大正8年(1920)建築の明治生命保険館。



         第二師団司令部正門【明治40年(1907)頃〜大正6年頃の発行】
寛永(かんえい)16年(1639)建造とみられる仙台城の大手門。明治4年(1871)に大手門のある仙台城二の丸跡に東北鎮台(ちんだい)(後に仙台鎮台(ちんだい)と改称、明治19年〔1886〕に第2師団となる)が設置され、大手門は司令部の正門とされた。昭和6年(1931)国宝指定。昭和20年(1945)7月10日未明の仙台空襲で焼失。




        霊屋(おたまや)橋【大正5年(1916)〜大正6年(1917)頃の発行】
大正5年に木造の()(ばし)()けられた。この橋は昭和10年(1935)4月に鉄筋コンクリート製の橋に架け()えられた。




                 宮城県庁【昭和6年(1931)以前】
宮城県庁は仙台藩の藩校養賢堂(ようけんどう)のあった勾当台(こうとうだい)に設置され、この表門も養賢堂の表門のあったところに建てられた。




                    仙台稀有(けう)の大火実況
            東北学院中学校焼跡【大正8年(1919)3月2日】
火災は風速35.5メートルにもなる大風にあおられて燃え広がり、東北学院中学部の校舎も焼失した。




        躑躅(つつじ)ケ丘公園ノ桜花【明治40年(1907)頃〜大正7年(1918)頃の発行】
明治35年(1902)に躑躅(つつじ)ヶ丘((つつじ)ヶ岡)公園として開設され、仙台市の中心部から東側にあったため「東公園」と称されることもあった。江戸時代から続く桜並木は大正13年(1924)に国の名勝に指定された。