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第63回卒業式 校長式辞

例年になく寒さの厳しかった今年の冬もようやく過ぎ去りました。遙かに望まれる太平洋も、空の青さも、どことなく春の柔らかさを感じさせてくれます。
本日ここに、仙台市教育委員会教育次長野澤令照様をはじめ、多くのご来賓のご臨席のもと、仙台市立仙台高等学校の卒業式を挙行できますことは、本校にとって大きな慶びであり、心より御礼申し上げます。
保護者のみなさん、本日は誠におめでとうございます。いま、卒業証書を手にされるお子様の姿をご覧になられるとき、その感慨はいかばかりでございましょうか。支えて来られた皆様の三年間の御労苦に、改めて敬意を表しますと共に、仙台高校に賜りましたご支援とご協力に対し、心より感謝申し上げます。
卒業生の皆さん、卒業おめでとう。
皆さんの直向に前へ進む姿は、後に続く在校生に、仙高生としてのあるべき姿を見事に示してくれました。本当にありがとう。
さて、「夢を持て」或いは「目標に向かって進め」といった言葉を、この三年間幾度となく聞いたことと思います。夢を持つこと、目標へ向かうこと、これが大切であることは今更言うまでもありません。
それでは、私自身はどうだったのか?夢は実現できたのか? 答えは「NO」です。
子供のとき、非常に病弱だった私は、お世話になるドクターを尊敬し、私も医者になって恩返しをしようと考えました。
小学校、中学、高校と、その夢が変わることはありませんでした。
しかし、大学を受験する直前になって事態は大きく変わります。東京大学の入学試験が中止されるという、前代未聞の出来事です。永年持ち続けてきた夢は断念せざるを得ませんでした。
ショックでしたが、時間は止まってくれません。それで、生物化学の研究者になろうという目標を自分に納得させました。
が、卒業する年になって、今度は経済状況の大変動です。研究者への道もまたパッタリと閉じられてしまいました。
慌てて教員採用試験を受け、何とかギリギリで教師になれました。それまでは夢にも思わなかった仕事でした。当時は「デモしか教師」という言葉が飛び交っていましたが、その言葉を聞くたびに、私自身が批判され、責められているようで、心が痛んだものです。
現実に悩みは尽きません。どうしたら、あの先生のようにスムースに授業ができるのか? なぜ、あの先生の回りには生徒が寄って来て気軽に話していくのか? 自分には全てが欠けている、やはり教師には向いてないのではないか、そんな不安が駆けめぐりました。
でも、負けたくはない、その道に入った以上は、プロとして恥ずかしくない仕事をしたい。あったのは、その思いだけで、自分で一つ一つ乗り越えて行くほかなかったのです。
38年間、その気持ちで頑張り続けたなどという気は毛頭ありません。
苦しくて妥協してしまったことだってあるし、辛さのあまり逃げ出そうとしたこともあります。それでも、最後のところで辛うじて踏みとどまらせてくれたのは、プロでありたいという思いであり、目の前にいた生徒諸君が与えてくれる勇気でした。
今振り返ってみると、教師という仕事は、正に、私にピッタリの仕事であったと思います。ただ、最初から私が教師に向いていた訳ではなく、38年かけて教師に向いている人間になったのだろうと感じます。ただし、プロになりきれたかどうかは別で、まだまだ修行しなければなりません。
確かに夢を持ちにくい困難な時代ではあります。が、それでも敢えて言います。
夢、目標を直向きに追い求めるのは若者の特権であり、義務でさえあると考えます。皆さんには、チャンスを絶対に生かすべく、プロ中のプロを目指して、しっかりと頑張ってくれることを期待します。
ただ、夢を断念しなければならなくなったとき、目標を変えなくてはいけなくなったときには思い出して欲しい。道は決して一つだけではないのです。初めからプロである人はいません。プロになるべく自らを鍛えていくのです。その意味でこそ、人間の可能性は無限に広がって行くし、自分の力で広げて行くのです。
さあ、私の大好きな、仙台高校を巣立っていくみんな、勇気を持って、それぞれの道でのプロを目指して進んでください。
暑い夏、グラウンドや体育館、或いは教室で、部活動や受験勉強に歯を食いしばって頑張っていたみんな。体育祭や仙高祭で見せてくれた、みんなの弾けきった、あの素敵な笑顔。あれらこそが、これからのみんなをきっと勇気づけ、支えてくれると信じて式辞とします。
「仙高生!三歩前へ」です。
平成23年3月1日
仙台市立仙台高等学校 校長 山村悦夫
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創立70周年記念式典 校長式辞
日に日に秋も深さを増している本日、仙台市議会市民教育委員会委員長佐藤わか子様、仙台市教育委員会教育長青沼一民様を始め、多くのご来賓のご臨席を賜り、ここに市立仙台中学校・仙台市立仙台高等学校の創立70周年記念式典を挙行できますことは、本校にとってこの上ない慶びであり、心より御礼申し上げます。
さて、本校は、昭和15年、1940年に、市立仙 台中学校として開校いたしました。時あたかも日中戦争のさなかであり、戦時色が日増しに強まる時代でしたが、第一回生158名は、当時の渋谷仙台市長の「しっかり頼むぞ」という熱烈な激励を受け、決意も新たにスタートを切ったと記るされております。
以来70年、全人教育を柱とする「自主・自立」の精神を校訓として永い歴史を歩んで参りました。
昭和23年には学制改革により仙台高等学校と名前を改め、校舎も柏木の地に移転、更に、昭和50年、1975年には、この国見に移転し、同時に男女共学の高等学校として新たなスタートを切りました。平成21年には進学重視型の単位制高校に改編され、来年度に完成を迎えようとしております。
この間、卒業された方々は2万名を大きく超え、各界のリーダー或いは中核として活躍して来られました。これこそが本校の大きな誇りであり、掛け替えのない財産であります。
ただ、仙台高校の歴史は決して平坦なものではありませんでした。
昭和20年には、仲の町にあった校舎が仙台空襲で焼失するなど、戦中、戦後の苦難の時代もありました。
戦争の大きなうねりの中、明日の命も測れない中で、懸命に勉学に励まれた方々や、戦後の食料不足と大混乱の中で青春を過ごした方々がおられ、或いは、高校生が政治的な問題に無関心ではいられない時代もありました。高度経済成長、バブルの崩壊、そして現在は2年前のリーマンショックに始まる厳しい経済状況のさなかにあります。
正に仙台中学校、仙台高校の歴史は、そのまま、日本の激動する歴史に重なって過ぎて来たのです。
しかし、卒業生の方々は、順風の時代にあっても、或いは逆風の吹く困難な時代にあっても、しっかりと時代を見据え、生き抜いて来られました。その伝統は計り知れない重みを持って、現在の我々の基盤となっています。
さて、生徒の皆さん、この70年の歴史の重みは、皆さんの普段の生活の中に、しっかりと根付いているように感じます。
私は、常々、学校の外の方に話すときには、「仙台高校は生きて動いている学校ですよ」と言い続けて来ました。例えば、夏休みの教室で進路達成に向けて勉強に励む生徒がいます。ふと目を上げれば、グラウンドで汗を流す仲間がおり、耳を澄ませば、体育館から、或いは校舎から練習に励む友人の歓声や楽器の音色が聞こえてきます。実に様々な生き方を求める生徒が、懸命に模索しています。これこそが仙台高校のあるべき姿だと確信します。
これまでの70年がそうであったように、これからもそうであらねばなりません。皆さんは、正にその歴史の担い手なのです。
若者は、遙か未来を見据えなければなりません。しっかりと顔を上げ、来るべき未来を、自分たちの手で確かなものに創り上げる決意を、今こそ固めてください。それが仙台高校の歴史の担い手である皆さんの責務であります。「仙台高校、三歩前へ」です。
創立70周年の節目に当たり、仙台高校が更に前進し続けることを誓い、式辞といたします。
平成22年10月20日
仙台市立仙台高等学校 校長 山村悦夫
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平成22年度 入学式式辞
仙台高校からは、遙かに太平洋を望むことができます。その太平洋の海の色も、四月に入り、いっそう柔らかな青さに変わって参りました。木々の若芽も一斉に伸びようとしています。時、まさに春です。
そのような中、多くのご来賓のご臨席のもと、仙台市立仙台高等学校の入学式を挙行できますことは、本校にとって大きな喜びであり、心より御礼申し上げます。
また、保護者の皆様には心からお祝い申し上げます。皆様が大切に育んで来られたお子様方を、今、確かにお引き受けいたしました。これからは共に手を携えて、高校三年間での成長を見守って参りたいと存じます。
さて、282名の新入生の皆さん、入学おめでとう。
仙台高校は皆さんの入学を心から待っていました。さあ、一日も早く、我々と一緒になって、学校の中で、あるいは外で、思う存分活躍してくれることを、楽しみに期待しています。
ところで、仙台高校は今年創立70周年を迎えます。昭和15年、1940年の開校以来、この70年間に卒業生の数は2万名を超える伝統校です。ただ、私がこれから話そうとするのは、その伝統の長さではありません。
70年を越える学校だったら、仙台高校の他にもたくさんあります。しかし、仙台高校はそれだけではありません。ちょっと違います。生きている学校であり、成長していく姿が、はっきりと見える学校です。
運動部、文化部を問わず、全国大会を目指して頑張っている生徒がいます。一方、進学を目指して、夏休みの教室で勉強に励む生徒がいます。
体育祭や文化祭では、生徒が自ら企画運営しながら、パワー全開で思いっきり弾け、いざ儀式となると、これまた生徒が自らさっと整列し、一瞬にして静粛になる、素早い切り替えのできる学校です。
「おはようございます」、「こんにちは」、挨拶が大きな声できちんと交わされ、雪が降れば、朝早くから、部活動の多くの生徒が率先して雪かきをしてくれる、そういう学校です。
ひと月前、300名を越える卒業生が巣立って行きました。
それに先だって、いくつかの運動部で卒業生を送る会が開かれ、参加する機会を得ましたが、どの部でも、最後は卒業する生徒の感謝の言葉でありました。
自分の親と一緒にステージに上がり、正面に向かい合い、「この三年間本当にありがとう」とか、「続けられたのは遅く帰っても食事の支度をしていてくれたお母さんのお陰です」とか、しっかりと感謝の言葉を述べるのです。親の目にも生徒の目にも涙が光っていましたが、あの涙の中にこそ、三年間の万感の思いが込められているように感じました。
三年間は決して順風満帆な事だけではなかったはずです。勝った喜びは当然として、負けた悔しさ、ゲームに出られない辛さ、計画通りに進まないもどかしさ、様々な葛藤があったに違いありません。でも、彼らはそこを見事に乗りこえ、仙台高校をより一層大好きになって巣立って行きました。
当たり前のことに思われるかも知れませんが、その当たり前のことをきちんとできる高校生が、いったいどれだけいるでしょうか。試しに、新入生の皆さんはどうですか? 自分の親にきちんと向き合って、「ありがとう」といえますか?
私は、あの場面にこそ仙台高校での三年間が凝縮されているように思いました。これは仙台高校が胸を張って誇っていいことだと確信します。
しかも、これは部活動に限ったことではなく、クラスでも同じような光景が見られたということです。
どうですか皆さん? これが仙台高校です。
新入生の皆さん。勉強でも部活動でも、或いは生徒会活動でも、自分でこれだと思うことを、挫けることなくとことんまで追い求めてください。様々な難関を乗りこえ、最後までやり抜いて、大きくたくましく育ってください。そして三年後、「俺はやった!」、「私は頑張った!」と胸を張り、「ありがとう」と言って巣立って行ってください。仙台高校が大好きになって巣立って行ってください。
みんなが、そのように大きくたくましく、そして美しい心を持った仙高生に育つことを楽しみにし、信じて待つことにします。
さあ、教室へ行ったら、窓の外に青く望まれる太平洋に向かってみんなの決意を語りかけてください。どんな返事が返ってくるか、楽しみにしながら式辞とします。
平成22年4月8日
仙台市立仙台高等学校 校長 山村 悦夫
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