7月1日 明日「開校記念日」
暑い中、「あいさつ運動」に取り組む計画委員会の子どもたち。朝からがんばっています。みんなの反応はどうかな?
暑い中での交通指導。頭が下がります。いつもありがとうございます。
▽明日の「開校記念日」を前に、今日は「開校記念式」を行いました。式の中では、同窓会長さんの励ましの言葉や児童代表の挨拶とともに、私からは子どもたちにこんな話をしました。
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学校の誕生日、それが「開校記念日」です。南材木町小学校は、明日で、150回目の誕生日を迎えます。
ところで、150年前って、どんな時代だったのでしょうか。ちょっとのぞいてみましょう。
そのころは、お侍さんの時代「江戸時代」が終わり、「明治時代」という新しい時代になって間もない頃でした。多くのことが変わる中で、「学校」というものも作られることになったのです。
それまでは、お侍さんの子どもなど、限られた人しか「学校」に行けませんでしたが、日本人みんながしっかりと勉強し、社会で活躍できる人になるために、だれでもが学校に行ける、今の仕組みが始まったのです。
そして、その頃、初めて仙台にできた小学校のうちのひとつが、この南材小です。はじめは「六番小学校」と呼ばれていました。明治6年7月2日のことでした。
また、南材木町は、その名前のように、材木屋さんや薬屋さん、お米屋さんなどが集まる町だったので、その町の子どもたちが学んだのだそうです。でも、当時の子どもの数は20人、先生の数は3人。ずいぶん少ないですね。
最初の校長先生はこの立派なおひげの先生。「佐久間晴嶽先生」です。絵を描くのがとても上手な先生だったそうです。校長室にも佐久間先生の絵がありますよ。
そこから150年が経ちました。
その間 南材小は「全国合唱コンクール」で合計8回も「全国1位」を勝ち取るという、すばらしい成績を残しています。「南材小」というと「音楽の学校だよね」と言われることが多いのは、そうした理由からです。
一方、悲しい出来事もありました。80年前に起きた戦争では、仙台の町にたくさんの爆弾が落とされました。「仙台空襲」といいます。その空襲で、南材小の3人の子が命を落としたことが記録に残っています。
こうした150年の様々な「歴史」と、すばらしい「伝統」に彩られた、この学校で、皆さんは毎日学んでいるのです。そして、みなさん、ひとりひとりが、今、新しい歴史と伝統を作っているのです。
大人になったとき、胸を張って「南材小の卒業生です」と言える、自慢の学校をみんなで作っていきましょう。
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▽昨日、社会学級の講師として来校された佐藤正実さんから、貴重な写真をお譲りいただきました。戦前から戦後に掛けて撮られたと思われる南材小の写真です。
この写真をAIを使った技術でカラー化してみました。
ちょうど、今日、本校の卒業生でもある連合町内会長さんが来校されたので、この写真を見ていただきました。
以前の「正門」(現在の西門)から撮られたこの写真、当時は1階に職員室があり、写真に見える2階は6年生の教室だったそうです。1クラスは約50人で、学年は6クラスだったとのこと。学校の歴史を記した「沿革史」によると、昭和30年には男子1097名、女子1076名、計2173名の全41クラスだったことが分かります。当時の南材小はとても大きな学校だったのですね。
▽校地南側のフェンスに、150年目を祝ってこんなプレートを掛けさせていただきました。
また、掲示板には、地域の方に向けたメッセージも掲出させていただきました。お近くを通った際にご覧いただければ幸いです。
▽1年生・図工「うきうきぼっくす」の授業。家から持ち寄った様々な箱の特徴を上手に生かして、うきうきする箱に変身させます。つなげたり、まわりに紙を貼ったり、切り抜いたり・・・。南材小の未来を担う1年生の創造力はすばらしいです。
▽来週はこの暑さも一段落する日もありそうです。土日も熱中症や感染症に気をつけ、元気に過ごしてください。
2022.07.01 Friday 15:48 | - | -