第75回卒業証書授与式 校長式辞

 3月12日(土)に仙台サンプラザホールにて第75回卒業証書授与式を行いました。卒業式での校長式辞を紹介します。

 式辞(抜粋)

 皆さんは今日まで、親や地域の方々、多くの大人から育てられ、いつも誰かに導かれながら、この宮城野の地で同じ道を歩んできました。しかし、今まさに、皆さんの人生は、最初の分かれ道に差し掛かっています。皆さんは、それぞれが自分のスタートラインに立ち、これから進む道は一人一人違います。これから先は自分の力で進んでいかなければなりません。
 自らの力で、自分の道をしっかり歩んでいくためには、何が大切なのでしょうか。皆さんの卒業に当たり、私が考える大切なこと、「おもいやり」ということについて、最後にお話いたします。
 みなさんは、よく笑いましたね。コロナ禍での限られた活動の中、精一杯に取り組み、たくさんの笑顔を私たちに見せてくれました。それぞれが個性豊かで、とても元気のある三年生でした。何より「自分のことが大切である」と思える良さが、皆さんの一番の魅力だと私は思っています。
 「自分のことが大切だ」と思える自己肯定感は、生まれつき人に備わっているものではありません。自己肯定感は、自分を大事に思ってくれる人との出会いがあって、自分を必要としてくれる場所があって、誰かの役にたっていると感じて、愛されていると思える体験を重ねながら、すこしずつ、皆さんの心の中に培われた力です。
 自分自身が大切な存在であると知っている人は、相手もまた尊い存在であるということに気付くことができます。すなわち、自分自身を愛する心がなければ、人を受け入れることも、認めることも、相手を思いやることも出来ないということです。皆さんの心に育つ自己肯定感は、人を思いやるための大切な基盤となるものです。
 私は「恕」という言葉が好きで、長く人生の目標にしてきました。
 この「恕」という言葉は、今から2500年前の中国で、孔子の語録を記した「論語」という書物に出てくる言葉です。ある日、弟子が「先生、たった一言で、一生それを守っていれば間違いのない人生が送れる、そんな言葉はありますか」と孔子に尋ねました。孔子は考えたすえに、「それは恕かな」と答えました。「自分がされたくないことは人にしてはならない…それが恕」、つまり思いやりという意味です。
 相手を受け入れ、認め、許し、その気持ちを思いやること、自分のことと同じように人のことを考え、いつくしむこと、そのことが、人生で最も大切であるということです。そして、孔子は、この「恕」は、まず自分を思いやることから始まるとも説いています。
 簡単なようで、それを行うことはとても難しく、私は何度もくじけていますが、でも今も目指しています。卒業生の皆さん、皆さんの心の中に養われた「自分を大切にする」心を土台に、どうかこの恕を目指してください。
これから出会う未来を、皆さんのしなやかで強い「思いやり」の心で、新しく造っていってほしいと願っています。

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