山添喜三郎
(やまぞえ・きさぶろう)
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明治16年(1883),仙台の三居沢
(さんきょざわ)
に紡績
(ぼうせき)
工場をつくるときには,その設計と建築をまかされました。喜三郎は,この仕事をきっかけに宮城県に住むようになりました。
明治18年(1885)には宮城県の技師となり,県内の多くの大建造物を手がけることになりました。
登米郡登米町に現在も残る「登米小学校」や「登米警察署」などの洋風建築が代表作です。
*旧・登米警察署