和賀忠親主従の墓(わがただちかしゅじゅうのはか) |
|||||||
|
|||||||
![]() |
若林区白萩町 国分尼寺境内 | ||||||
![]() |
|||||||
国分尼寺の境内には,和賀忠親という戦国武将とその家来たちの墓があります。 お墓のわきには,石碑があり,岩手の戦国武将・和賀忠親とその家来7名が慶長6年5月24日に自殺したと記されています。 碑が建てられたのは享保5年(1720)のことです。建てたのは,忠親のひ孫にあたる和賀義直です。 この事件には,伊達政宗が深く関わっていると言われています。 |
|||||||
|
|||||||
![]() |
|||||||
■<人物について調べよう>和賀忠親・伊達政宗 | |||||||