和賀忠親(わが・ただちか)                     1 2 3 4


(   〜1601)
戦国時代に,現在の岩手県,和賀郡を治めていた武将。
■ 和賀忠親はなぜ国分尼寺で自殺したのか? 
国分尼寺所蔵肖像画をもとに作画<sugawara>
■ 豊臣秀吉の全国統一と東北の大名

天正18年(1590),全国統一をめざす豊臣秀吉は,小田原の北条氏を攻めました。東北地方の大名たちにも,小田原にかけつけて秀吉の軍に加わるよう命令が出されました。伊達政宗は,おくれながらも小田原にかけつけることができ,その後も大名として生き残ることができました。

しかし,小田原にかけつけることができなかった和賀氏や大崎氏,葛西氏などは,秀吉によって領地を没収され,没落してしまったのです。