和賀忠親(わが・ただちか)                    1 2 3 4


■関ヶ原の戦いと伊達政宗の陰謀

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが起こると,全国は徳川方と豊臣方の二つに分かれ,東北地方でも戦争が起こりました。

和賀忠親は,この混乱を利用して,自分の領地をとりもどすための戦いを起こしました。

この時,伊達政宗は,和賀忠親を助けるために家来の白石宗直をさしむけました。しかし,南部利直という岩手の大名にやぶれ,忠親は領地をとりもどすことができませんでした。

勝利した南部利直は,この戦いは伊達政宗の陰謀(いんぼう)によって引き起こされたものであると徳川家康に報告しました。家康は,真実を確かめるため和賀忠親を江戸に呼びよせることにしたのです。