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■ 国分尼寺で自殺
忠親と家来たちは,江戸へ向かう途中,国分尼寺で自らの命をたちました。
忠親の子孫である和賀直義が江戸時代になってたてた石碑によれば,慶長6年5月24日のことであったそうです。
家来7人も忠親といっしょに自殺しました。忠親の死によって,政宗が陰謀をめぐらしたという証拠は消えました。このため,忠親とその家来たちは,自殺したのではなく,政宗によって殺されたのだという説もあります。
今となっては,真実を確かめることはできませんが,忠親の死によって政宗は大名として生き残ることができたといえるのかもしれません。
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