本郷国包
(ほんごう・くにかね)
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国包の刀工としての技術はすばらしいものであったらしく,寛永4年(1627)36才の時に「山城大掾
(やましろのだいじょう)
」という名前をいただきました。
この時から,つくった刀には「山城大掾藤原国包」と銘
(めい)
を切るようになりました。
南小泉で「鍛冶屋敷」と呼ばれるあたりは,国包の屋敷があったところです。