戦災復興記念館で学んだこと

私たち、ぼくたちは、戦災復興記念館に行き、いろいろなことを学びました。

私は、戦災復興記念館に行き、仙台空襲のことや食事・服装・くらしなどを見てきました。仙台空襲のことを調べて感じたことは、まず食事です。日の丸弁当や雑草入りご飯などを食べていたのですごいと思いました。そして私が一番大変だと思ったことは、罪のない人々が亡くなってしまったことと、生きていた人々は、食事ができなくなり、服もやぶれて、いつ爆弾が落ちてくるか分からないという人々が大変だと思いました。
私は、もう戦争がおきないでほしいし、罪のない人々を戦いにまきこまないでほしいと思いました
SA

 私は、戦災復興記念館に行って、空襲の被害をうける前の仙台の写真、空襲の被害をうけた後の写真を見て、空襲の被害がどれだけすごいものだったのかを知りました。戦災復興記念館には防空ごうを再現したものもあり、空襲の時市民がどこにいたのかもわかりました。戦災復興記念館にある資料は、どれも空襲の恐ろしさが伝わってくるものでした。そのころの食事についての資料もあって、質素な食事でかわいそうだと思いました。
私は、戦災復興記念館に行くまで仙台空襲のことをあまり知りませんでした。この調べ学習は私にとって仙台空襲について知るいい機会でもありました。
これからは、争いごとがなく平和な国がふえればいいな、と思いました。
Y,K

私は、戦災復興記念館行きました。
記念館には、「防空ごう」・「空襲警報」・「服装」・「写真」そのほかにも、色々な物がありました。「防空ごう」には、ちゃんと人のもけいや背景には、戦争の時の様子が、えがかれていました。そのほかには、サイレン(空襲警報)を聞きました。サイレンの音は、こわかったです。でも、戦争時代の人は、 そのサイレンの音を聞いて、生きていたんだなぁ、と思いました。私は、そのサイレンの音を聞いて、音が大きくておどろきました。戦災復興記念館には、手帳やくつなど、さまざまな物が展示されていました。記念館に行ってみて 戦争時代に生きていた人は、大変だったな、と思いました。記念館に行って勉強になりました。これからは、戦争のない国にしたいです。他の国でも戦争がおきているけどその国も平和になってもらいたいです。全世界が平和な国になってもらいたいです。
Y・M

戦災復興記念館で食事のことを調べました。戦争時は日の丸弁当、すいとん、さつまいもいりだいずご飯、あずきごはん、ざっそういりごはん、かぼちゃ、とうもろこし、だいず、じゃがいもい、いわしなどのいまでは豪華ではないものを食べていました。
そのくらいのものしか食べられなかった戦争時は貧しい生活だった事が分かりました。今では、ほとんどない食事です。それだけ戦争時は、貧しい生活だった。 戦災復興記念館でみた防空壕は、よくできていました
OY

ぼくは、戦災復興記念館に行って昔のいろいろな資料や昔の食事メニューなどを調べてきました。戦災復興記念館に行って昔の人は、雑草入りご飯やあずきご飯など今では、あまり食べられていない食べ物を食べていたと言うことを戦災復興記念館の資料で分かりました。さすがに雑草入りご飯だけは、食べたくないなあと思いました。仙台空襲の資料もありました。仙台空襲で亡くなった人は、一千万人以上だと言う資料があってビックリしました。
戦災復興記念館では、昔の地図や物、資料などさまざまな資料があってとってもよい勉強になりました。もう二度と戦争はおきないでほしいとおもいました。
SK