社会「国分寺をつくる」を見て 5月25日(火)5校時
【国分寺をつくる】を見ていたときに初めて知ったことは,あのでかい石が土台だったということです。ただ単に置いてあるだけだとずっと思っていたからです。あと,国分寺と国分尼寺の違いがわかんなかったので,親に聞いたら,国分尼寺は,アマ寺って聞いたけど,アマ寺ってなんだぁと思いました。(みゆき)
聖武天皇が仏教を深く信じていて,仏教の力で争いをとめようとした。その手始めに国分寺と国分尼寺をつくった。ということは,全然知りませんでした。しかも木ノ下にある薬師堂が国分寺で,国分寺の中で最も大きかったということも全然わかりませんでした。薬師堂は歴史があって有名なのは知っていたけど,国分寺があったことは知りませんでした。お寺をつくるのに農民が働いていて,20年もの時をかけてつくられていたなんてビックリしました。疑問に思ったのは,どうして20年もかけてつくられた国分寺がなくなってしまったのかということです。(なお)

木ノ下には国分寺,白萩には国分尼寺が奈良時代にあったと知って「南小泉にはそんなに歴史があったんだなあ」と思いました。わたしは,「聖武天皇は,どうして仏教に強いこだわりを持ったのだろう」という疑問をもったけど,農民が貧しくて苦しんでいるのに,それでも仏教を強く押し通そうとするんだから,きっと深いわけがあるんだなあと思いました。わたしは,【国分寺をつくる】を見終わってから,「なぜ,そこまでして国分寺や国分尼寺を建てるのだろう」と思いました。(ゆきこ)