2004年11月24日

No.127「尋常小学校宮城県沖地震の為修復工事を行った。」

■もともとの作り
もともとの作りは、とても丈夫だった。
木造2階建ての普通の小学校である。
木材にも手がこっていて質の良い木を使用していた。
■宮城県沖地震の被害!!
尋常小学校は、明治21年10月に建てられた木造2階建ての小学校である。
そんな尋常小学校が出来てから、71年後に悲劇が起きる。
71年後と言えば、昭和53年宮城県沖地震が起きた年です。
この宮城県沖地震は、宮城県で最も大きい地震でした。
尋常小学校は、この宮城県沖地震で、すごい被害を受けるが、崩壊まではいかなかった。
■崩壊にならなかった理由?
尋常小学校を作る材料は、ほとんどが木材だった。
そんな尋常小学校を支えていたのが大黒柱だった。
大工さんもベテランぞろいでより良い作りが出来たから、地震にも負けない作りが出来たのだった。
■残そうとした町の努力
尋常小学校は、なぜ2億3962万円を出してまで修復工事をおこなったのか、それは登米町のシンボルだからである。
だから、2億3962万円を出して尋常小学校を修復したのである。

投稿者 koriyama : 11:59 | コメント (13)

No.118「教育資料館は、私の父の会社が復元した。」

■父の会社について調べてみた
父の会社の名前は、安藤建設という。
安藤建設の本社は、東京にあり、創立約130年を迎える。
なぜ安藤建設が教育資料館の復元を担当したかというと、会社の社員の中に文化財を専門に復元工事している人がいたから。
■復元工事はこうしてやった
まず設計図を書いて、合番(数字)を書く。
次に写真を撮って、順番どうりに解体する。
解体したら、基礎を作る。
次は解体した時の順番と逆の順番から組み立てて、完成。
■尋常小学校のひみつ
当時、ふくろうは、厄をよせつけない魔除けの意味があった。ふくろう=不苦労=苦労をしない、という意味があった。
ちなみに太い柱についている、渦巻は、ふくろうの目だったらしい。
尋常小学校は、木造2階建ての和洋建築で、国の指定重要文化財。
■教育資料館は、父の会社で復元した。

投稿者 koriyama : 11:48 | コメント (10)