2004年11月24日

No.225「相模土手の完成で北上川を定めた」

■相模土手の計画
白石相模宗直が北上川の流路を変える計画を6年費やした大工事で北上川の流路を変えた相模土手を完成させた。
川村孫兵衛重吉工事に先んじて作られた。
名前の由来は、白石相模宗直の相模をとって相模土手となずけられた。
■流路を変える計画はこうした理由で決めた
登米はもともと、北上川と追川が合流し野谷地と呼ばれる湿地や沼地が広がる荒れた土地だった、それを見た白石相模宗直が流路を変えることを、決めた。
計画は3657間(約6,6キロ)の堤防を築いて支流である追川と分離し、流路を西から東に変えた。
■宗直が流路を変えるまで
宗直が水沢から登米に来たのは慶長9年(1604)年のことで登米の領地の惨状を目の当たりにしたことから、北上川の流路を変えることを決めた。
■荒れた土地を米作地帯にした相模土手はすごかった
治水には、武田信玄の技法が使われていた
白石相模宗直の知力は、素晴らしいものだった
相模土手の完成で荒れた野谷地を仙台藩でも有数の米作地帯となった
相模土手と信玄堤は親戚だった

投稿者 koriyama : 11:11 | コメント (12)