2004年11月24日

No.233「旧登米尋常小学校は町の人たちのお金で建った。」

■旧登米尋常小学校とは・・・
洋風建築家だった山添喜三郎に旧登米尋常小学校を作るのを依頼した。
洋風と和風の良いところだけを抜き出し、使い勝手のいい建物にしようとした。
旧登米尋常小学校のデザインを洋風と和風の混ざったデザインになった。
■町の人たちのお金でなぜ建てたのか
県や国側が、「町村で作れ」と言い、小学校の建設費を1円も出してくれなかった。
町の人たちで協力し「募金」をして、建設費の3500円総事業費5874円(昔の金額)という、たくさんのおかねをあつめた。
旧登米尋常小学校は、町の人たちの協力によって建てられた。
■どうしてそんな大金が町の人だけで払えたのか
登米はその当時、とても栄えていて、石巻か登米か、どちらかが発展するだろうと言われていた。
そこから、登米にはたくさんの人が集まっていたことが想像できそれによって、町の人たちは、たくさんのお金が手に入れられることが出来た。
■町の人たちのお金で建ったのは本当だった
町の人たちは、この小学校が建って、「自分たちで建てたんだぞ!」と周りに「県や国のお金で建てたんじゃない!」「県や、国のものではない!」と言ったといわれている。
これからも、町の人の宝物として残ってほしいと思う。

投稿者 koriyama : 11:20 | コメント (14)

No.231「旧登米高等尋常小学校はとっても丈夫だった」

■明治21年から今でも使われているものは・・・
旧登米高等尋常小学校は明治21年に建築された。
現在は教育資料館として使われている。
明治21年から今でも使われているもの、それは瓦。
屋根の瓦の1/3を今でも使用している。
■じょうぶなところ
やぶれやすい障子・雨戸ではなく、ガラスにした。
日本古来の高床式である。
吟味した瓦、全部が通し柱。
コンクリートではなく土台石・時間をかけてつくった基礎づくり。
■国指重要文化財に選ばれた理由
理由は2つほどある。そのうちの1つはとっても丈夫なところ。
長年使われているのに、丈夫さを保っているところ。
主に丈夫なものは、柱と瓦である。
■旧登米高等尋常小学校は地震にもびくともしない学校だった
これまで4回も大きな地震があったが、どこも壊れていないという。
尋常小学校はとても丈夫で、立派な学校でした。
丈夫につくったおかげで、今でも丈夫さを保ってあり、歴史的でいい建物だなと思いました。

投稿者 koriyama : 11:18 | コメント (10)

No.230「学校バルコニーは、山添喜三郎が作って見たかったからできた。」

■バルコニーについて、教育資料館の人に聞いてみた。
明治21年10月に山添喜三郎が作った。
登米旧小学校にはバルコニーがついている。
今までなかった洋風の学校を作ってみたかったのである。
■バルコニーはこうしてできた
学校の中には洋風の部屋がある
ヨーロッパの擬洋風建築を学校に取り入れた。
バルコニーがメインでコ字形の学校を建築した。
■バルコニーは役にたっていた
校長先生が毎朝バルコニーから生徒にあいさつをしていた。
バルコニーから全部の教室見ていた。
■バルコニーでの感想
登米旧小学校のバルコニーは山添喜三郎が作ってみたかったからできた。山添さんは日本にはない学校を作ってみたかったからできた。
門から見るとバルコニーが1番めだっていた。
バルコニーは警察資料館にもついていた。

投稿者 koriyama : 11:17 | コメント (22)

No.229「教育資料館の形はコの字だった。」

■教育資料館の歴史
教育資料館は、旧登米高等尋常小学校として、明治21年10月に建てられた。
教育資料館は、当時の洋風学校建築を代表する建物である。
昔の児童数は、当時としては、477人で、県内最大だった。
■学校の特徴
1階の窓には、霧よけの庇(ひさし)が付いている。
バルコニーは、校舎全体の中心的な位置に、シンボル的な役割を果たしている。
廊下は、1階2階とも吹き抜けの片廊下式となっています。
■コの字型の教育資料館には教育の歴史があった
明治以降の教育史、各時代の教科書、なつかしい再現教室等を、展示している。
■コの字に設計した理由
コの字に設計したのは、校舎全体が、見わたせられるようにするためにした。
バルコニーや入り口など、どこから見ても、校舎全体が、見えるようにした。
これを調べて教育資料館のいろいろなことが分かった。なぜ、コの字にしたか分かってすっきりしてよかった!

投稿者 koriyama : 11:16 | コメント (16)

No.226「旧登米尋常小学校の生徒数は多い時で2000人にもなった。」

■教育資料館の方の話
旧登米尋常小学校は明治21年に建てられた、建てられたばかりの頃の生徒数は300人くらいだった。
■なぜ旧登米尋常小学校の生徒数が増えたか
旧登米尋常小学校の生徒数は少しずつ増え、多いときには2000人にもなった。
それは建物の形がそれまでとは違い、とても珍しかったためということの他に、登米町は物流の拠点で人口が多かった、近くには他に小学校がなかった、という2つの理由もあった。
■建物に対する生徒と町民の反応
校舎は和と洋のいい所をとってつくってあり、生徒たちはその珍しいつくりを見て「自分達もがんばろう」という気持ちで授業を受けていた。
旧登米尋常小学校は町民の人たちの寄付金でつくられた為、立派につくられて町民の人たちは誇りに思った。
■旧登米尋常小学校は生徒数300人から生徒数2000人までにもなった小学校だった。
旧登米尋常小学校の生徒数が2000人にもなった理由は、建物の形が珍しかったから、登米町の人口が多かったから、近くに他の小学校がなかったからだった。
旧登米尋常小学校について調べて「へぇ~、そうなんだ」と思うことはたくさんありました。とくに、生徒数が2000人だった、ということが分かった時は、郡中でも1000人いないのにすごいなぁとびっくりしました。

投稿者 koriyama : 11:12 | コメント (9)

No.224「教育資料館のバルコニーにはひみつがある。」

No.224「教育資料館のバルコニーにはひみつがある。」
■旧登米尋常小学校とは
明治21年10月に建てられた。現在教育資料館として公開されている。当時の洋風学校建築を代表する建物。
昔ながらの洋風の雰囲気を漂わせる様式は、明治中期の地方文化の結晶として価値のある貴重な建造物と言える。
■旧登米に詳しい方はこう語る
バルコニーは、腐食を防ぐために全面に亜鉛板を敷きつめている。
バルコニーにのぼると、校舎全体が見わたせる。
バルコニーは校舎の中央にあって全体のシンボルとなっている。
■バルコニーの紋章
バルコニーには、中央に朱色の紋章が配置してある。
この紋章は、旭日を型どったもので、「朝陽の紋章」と言われている。
■バルコニーはとても大切な役割を果たしていた
教育資料館にとって、バルコニーは重要な役割を果たす大切なもの。
平成元年に保存修復作業を行い、建築当初の状態に忠実に復元してある。

投稿者 koriyama : 11:10 | コメント (9)

No.222「明治の学校の様子は今とはほとんど違っていた。」

■実際に行って調べてみた。
教室は巾三間、長さ四間中に30人ときめられていた。
壁は灰色にし、カーテンは、ベージュで教室が明るく見えるようにしてある。
■今と違うところ
教壇がある所は、床が1段高く、全体が見渡せるようになっている。
この風景は、いまと同じような感じがした。
■教室の物は今とほとんど同じ
教室には、ピアノやそろばんがある。
先生は真ん中に立ち、教えていた。
黒板は今より少し大きい感じ。
■机に大きな違いがあった。
机は2つつながっていて、2個で1個。
机は板が上にあがり、そこに荷物を入れていた。
机の並び方は、前は小さく、後に行くほど大きくなっている。前・小→後・大

投稿者 koriyama : 11:09 | コメント (12)

No.221「教育資料館は火事以外の被害には耐えられた。」

■教育資料館は旧登米尋常高等小学校
明治21年に建てられた。
この校舎には特徴的なバルコニーなどがある。
この校舎は和風と洋風の2つのいいところがある。
■教育資料館とは・・・。
特徴的なのが2階のハルコニーで、校舎全体の中心的な位置にある、シンボル的な役割を果たしています。
1階の窓には霧よけの庇がついているのも特徴的。
平成元年に保在修復作業を行い、建築当初の状態に忠実二復元してあります。
明治以後の教育定史、各時代の教科書、なつかしい再現教室等を展示している。
■どうして火事以外の被害にたえられるのか。
吟昧した瓦、全部が通し柱
日本古来の高床式
コンクリートで無く土台石
時間をかけて地盤でつくった。
■教育資料館は火事以外の被害に耐えられた。
それは、吟味した瓦で全部が通し柱になっている。日本古来の高床式で、コンクリートでなく土台石に出きているから。時間をかけて地盤でつくったからです。
それに対して火事に耐えられないのは、校舎が木造で造られているから。

投稿者 koriyama : 11:08 | コメント (19)

No.220「旧登米高等尋常小学校の昇降口は六角形を半分に切った形だった。」

■旧登米高等尋常小学校に詳しい方はこう語る。
当時、洋風の小学校が盛んに建てられていて設計者山添喜三郎が欧米の建築様式を取り入れて設計したかったから、昇降口を六角形の形にした。
建設にたずさわった大工は初めて見る六角形の木組みの設計図を見て造るのに非常に苦労した。
■保存修復作業では・・・
平成元年に、旧登米高等尋常小学校の保存修復作業が行われた。
現在も、柱と瓦の半分は明治21年の建設当時のままだ。
昇降口は、地面を土・砂利からコンクリートへと塗り替えられた。
■設計者は山添喜三郎
山添喜三郎に依頼したのは、宮城県の技手だったからだ。
昇降口を六角形の形にしたのは、当時を代表する欧米風の建築様式を取り入れたかったからだ。
■旧登米高等尋常小学校の昇降口は洋風を取り入れたおしゃれな昇降口だった。
六角形を半分に切った形の昇降口を『六方』(ろっぽう)と言う。
当時の人々は、旧登米高等尋常小学校の洋風建築に対しとてもビックリしていたようだった。
旧登米高等尋常小学校は、和風と洋風のそれぞれ良いとこを取り入れて出来た学校だと言うことがこの研修で分かった。

投稿者 koriyama : 11:07 | コメント (14)

No.218「旧登米尋常高等小学校が県内最大だったのは周辺に学校が1つしかなかったからだ」

■教育資料館の歴史
教育資料館の竹内館長さんは語る。
登米はけっこう田舎だった。
明治21年10月に旧登米尋常高等小学校が建てられた。
明治9年に生徒数477人になり県内最大になった。
■県内最大になった理由は?
県内最大になったのはいくつかの理由がある。
周辺に小学校が旧登米尋常小学校が1つだったのと洋風建築で当時の人々はめずらしがり子供達はこんなりっぱな小学校で勉強できることを嬉しがっていたそうだ。
■国指定重要文化財になった理由は?
明治56年には国指定重要文化財に指定された。
なぜ国指定重要文化財になったかというと、とても丈夫で瓦が三分の一、昔のものを使用していて、和風の中に洋風の良さがあるので、国指定重要文化財に指定された。
■県内最大の理由は地域に1つしか学校がなかったからだった!!
当時の子供は、ビックリしていたがとてもうれしがって評判の良い小学校であった。
県内最大だったのは、地域に1つしか学校がなかったことがわかった。他にも洋風の造りが当時の人にめずらしいということもあって最大になったこともわかった。

投稿者 koriyama : 11:05 | コメント (10)

No213「教育資料館のバルコ二ーは校舎のシンボルだった」

■バルコニーはなぜ校舎のシンボルなのか
校舎の中心にあり全体のシンボルとなっている。
バルコニーは全校舎が見える。
コの字型の校舎は全体を伺い知ることができる。
■建設デザイン
当時は洋風小学校が多かったのでバルコニーにこだわっていた。
2Fは本屋根。
■校舎建設
建設費は当時のお金3500円。
建設期間は506日。
■教育資料館の特徴
バルコニー、吹き抜け片廊下六角形を半分に切った形の昇降口などの造りにこだわった。
特徴的なのが2階バルコニーで、校舎全体の中心な場所にある

投稿者 koriyama : 11:02 | コメント (11)

No.211「教育資料館のバルコニーは校舎のシンボル。」

■バルコニーはなぜ校舎のシンボル
旧登米尋常小学校の中央にあり、全体のシンボルとなっているから。
バルコニーは、全校舎が見え北上川が見えるので良い。
コの字型の校舎の理由は、校舎全体を伺い知る事ができるから
■建設デザイン
当時は、洋風小学校が盛んだったので、バルコニーなどにこだわっていた。
二階には、本屋根がある。
■校舎設立について
校舎建設費は、当時のお金で3500円。
校舎建設期間は、506日。
■旧登米尋常小学校のバルコニーは今も教育資料館のシンボルだった
バルコニーを見て、なんとなくだがバルコニーがシンボルとなっている理由が分かった。
実際のバルコニーや校舎を見て、バルコニーはなかなか大き、校舎全体が見えるとはすごいと思った。

投稿者 koriyama : 11:01 | コメント (12)

No.209「教育資料館は重要文化財に選ばれた」

■教育資料館について
昔は教育がなかった。しかし教育はこれから必要だと考え、学校を作った
県内最高の生徒数477来た。
明治22年町の予算48%教育にかけたりしていた。
卒業者数をみても教育にかける熱意、意識があった。
■重要文化財になった理由
重要文化財になったのは昔ながらのうまくのこし教育資料館に作り変えた。
ずっと使われてきた。
毎日大切に使われ続けていた。
■かかった建設費用と建設期間
建設費3500円
総事業費5874円
期間506日
今では合計現在の建設費用は約8000万円
■教育資料館が国の重要文化財になったのは
建設費と期間と保存の良さだった。
登米町は昔のことがわかる町だった。
登米は国内指定重要文化財があるすごい町だ。
登米の人達は昔の物を大切にしてきた。

投稿者 koriyama : 10:59 | コメント (9)

No.207「登米の小学校では1校に対して教員は2~3人だった。」

■当時の学校状況を調べてみた。
登米には622の小学校があった。
1校には約250人の生徒がいた。
250人に3人と言うのはやはり大変。
当時明治6年には6種類の学校があり15以上の教科があった。
半年に一学年上がる制度だった。
「管内小学校一覧」と言う本にのっていた
■一部公開
小学校生徒数教員数
三百人町4673
東二番丁5163
大仏前6983
北六番町6113
他14校
本当だった
■建設はこの様に行われた
設立したばかりだったので教員が少なかったらしい。
旧登米尋常小学校の校舎は、今の小学校の半分位だった。3500
建設費は、当時のお金で3500円だった。
建設には、鉄柱などにお金をかけ木材には、お金をかけられず、廊下の板は、1種類の木でつくられた。
■苦労したと思われる生徒や教員
生徒も教員も両方大変だ。
現在の学校制度は、生徒40人に対して教員が1人だ。しかし当時

投稿者 koriyama : 10:58 | コメント (10)

No.202「旧登米高等尋常小学校の2Fの柱は、フクロウがイメージされている。」

■旧登米高等尋常小学校に詳しい人は、こう語った。
登米高等尋常小学校は、明治21年10月に建てられた。
当時の洋風学校建築を代表する建物だった。
■尋常小学校の建物は、いろんなところにこだわって建てられた。
2Fの柱の、上の方を見ると、フクロウがイメージされてある。
その柱は、木をまるごと1本使って建てられた。
どんな大きな地震がきても、びくともしない。
■その、フクロウはどういうものか・・・。
真ん中に大きな柱がある。
天井と大きな柱によってできた、垂直な部分が両側に2つある。
その垂直なところ2つが、三角形になるように、それぞれ、木がななめについている。
それによってできた三角形2つの中に、丸い目になる部分が、ついている。
それが、フクロウです!!
■これを見た、子供たちの反応、また、どういう理由でつくったのか?
子供たちは、まるで、学校に動物がいるような気分で、とてもうれしがっていた。
めずらしいデザインで、とてもビックリしていた。
これをつくった理由は、この建物に、ちょっとだけ遊び心を取り入れてみようと思ったから。
2Fの柱は、ちょっとした遊び心でつくられた!!
ただの柱がフクロウになり、子供たちの評判も、とてもよかった!!
そのフクロウの柱は、どんな大きな地震がきても、びくともしない!!
ちょっとした、遊び心でつくられたフクロウであった!!

投稿者 koriyama : 10:36 | コメント (10)

No.201「教育資料館のバルコニーにある紋章の名前はりっぱである。」

■教育資料館について
教育資料館は昔ながらの洋風の建物で、国指定重要文化財となっている。
バルコニーはシンボル的な役割を果たしている。
廊下は、1階2階とも吹きぬけの片廊下式となっている。
バルコニーからは学校全体を見わたせるようになっている。
■バルコニーの特徴
洋風欄干付のてすりを廻している。
天井は、格天井で、屋根は切妻造となっている。
風雪による腐食を、防ぐため、全面に亜鉛板を、しきつめている。
■紋章について
バルコニーの中央には、紋章がある。
紋章の色は、朱色となっている。
三角の部分は、しっくい仕上げに、なっている。
■バルコニーにある紋章には、「朝陽の紋章」というりっぱな名前がついている。
バルコニーにある紋章は、旭日を型どったものだから、「朝陽の紋章」と、よばれていた。
そのバルコニーは、正面に向かって、コの字型に造られている。
実際にバルコニーにいってみたら、バルコニーはけっこう広くて、学校全体のことをみわたせた。

投稿者 koriyama : 10:35 | コメント (14)