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2004年11月22日

No.514「山添喜三郎は世界的にも有名だった。」

■山添喜三郎のプロフィール
建築家山添喜三郎は、天保十四年九月十五日に新潟県(西浦原郡角海兵村)に生まれた。
大工として建築を志し、腕も相当なものであった山添は、オーストリアのウイーンで開催された万国博覧会に政府からの主張を命じられ、ウイーンへ向かった。
そして会場に日本家屋を建築し、多くの外国人の目を見張らせるとともに日本の芸術文化を認識させた。
■山添喜三郎のその後
山添喜三郎は、日本だけではなく世界でも活躍していた事が分かった。
そして山添は同年にロンドンに渡っていた事も分かった。
そこでも茶店、神楽殿、神社、数奇屋風売店等を建て上げ、さらに土蔵も造っている事がわかった。
■代表的な建造物
すべての任務を終え、明治七年(一八七四年)三月十三日に、日本へ帰国する。
山添は、県内の多くの建築物を手がけたが、本町にも明治二十二年に完成した旧登米警察署の庁舎がある。
また近隣では佐沼小学校、飯野小学校なども彼の設計によるものだ。
■記念碑となったもの
しかし、いずれもすでに解体撤去されていてその面影もなく・・・
現存する建造物としては、本町の旧登米高等尋常小学校校舎と旧登米警察署庁舎だけで、
建築家山添喜三郎の記念碑ともいえるものなのである。

投稿者 koriyama : 2004年11月22日 13:55

コメント

まとめ方の順序がきちんとしているのでとても分かりやすいと思いました。

投稿者 515 : 2004年11月22日 14:40

わかりやすくまとめていて良いと思います。あと、蔵の資料館の中についてもきちんとまとめているから良いと思いました。

投稿者 216 : 2004年11月24日 09:18

わかりやすくまとめていて良いと思います。あと、蔵の資料館の中についてもきちんとまとめているから良いと思いました。

投稿者 216 : 2004年11月24日 09:19

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