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2004年11月24日

No.422「登米は、明治9年に県内最大の小学生がいた。」


■登米に詳しい人はこう語る。
登米の就学率は高かった。
義務教育ではなかったのに県内最大の477人を記録した。また、明治21年(1888年)生徒の増加により水沢県庁にあった小学校からこの尋常小学校ができた。
尋常小学校ができるまえは水沢県庁で勉強していた。
■町や親が予算の48%を教育にかけた。また、足りない分は他にも国庫からも補助金を得ていた。
熱意や意識の高さがあったからこのような記録をだした。また、多くの家庭は裕福な生活だった。このような意識や熱意で生徒が増大し最初に勉強していた水沢県庁ではなく尋常小学校ができた。
■県内最大の小学生がいた登米は教育にかける熱意はすごかった。
明治9年に県内最大の生徒を記録したことは親の教育にかける熱意があったから。また、尋常小学校ができ、1000人もこえることがあった。
教育のために多額のお金をかけ町や親の予算の48%を教育にかけ、国庫からも補助金を渡し、みんなの協力があったからできた記録だ。
また、今の親も昔の親も教育の勉強について同じ考えだ。
■県内最大の小学生がいた登米は教育熱心だった。
この時代、多くの家庭は裕福な生活が多かった。
登米が県内最大の小学生を記録した明治9年(1876年)は多額の資金を教育にかけ、また、町や親も教育に48%をかけた。
実はほかにも国庫からも補助金を得ていた。

投稿者 koriyama : 2004年11月24日 10:19

コメント

義務教育でもないのに、県内最大の477人を記録したのは、とてもすごいと思った。

投稿者 430 : 2004年11月24日 11:10

資料にも県内最大の生徒がいたことが書いてあったがこのトリビアはそれをはるかにうわまわり詳しくまとめられていてとてもよく分かった。

投稿者 428 : 2004年11月24日 11:11

どうして登米にそんなに小学生がいたか理由がしっかりと書いてあった。

投稿者 424 : 2004年11月24日 11:12

説明がわかりやすい

投稿者 410 : 2004年11月24日 11:16

グッド

投稿者 417 : 2004年11月24日 11:20

説明がわかりやすい

投稿者 69 : 2004年11月24日 14:44

1000人も越えるなんて、考えらんない。

投稿者 127 : 2004年11月24日 15:06

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