« No.402「明治9年から教科書が1人で一冊つかえるようになった」 | メイン | No.404「山添喜三朗に納入した瓦屋はすべて倒産した。」 »

2004年11月24日

No.403「477人中83人しか女子がいない学校がある」

■明治の登米小学校について
登米第一番小学校とは明治9年以降はじまった小学校である。
小学校になる前は水沢県庁舎として使われその後、治安裁判所や老人福祉センターとして使われました。
小学校の名前が明治9年5月「仮校舎養雲寺」になり、その年の11月「凌雲小学校」になり、明治12年1月に「登米小学校」となりその後も何回か名前が変わっていきました。
■生徒数について
当時の生徒数は477人で、男子394人、女子83人で、女子が大変少なかった。
477人の生徒数に比べ、教員の人数は7人でした。
参考として、宮城県の小学校では、教員2人・男子531人・女子95人・合計626人の学校もありました。
■義務教育について
義務教育ではなかった当時、生徒数は477人と県内最大だった。
なぜかというと、建設に多額の資金をかけたり、教育にかける熱意・意識が高い家庭が多かったので、県内最大になったと思われる。
当時の小学校ではおもに、読書・作文・習字・算術などの勉強をしていました。今と比べると大分ちがっている。
■女子が少なかった理由
女子がすくなかったのは、家事の手伝いのためでもあるが、学校に入るのにお金がかかるため、親に負担をかけさせないように学校に入らなかった。
しかし、83人と少なかった女子は、明治18年2月に「裁縫科」を設け、女子生徒は増加していったということである。

投稿者 koriyama : 2004年11月24日 09:55

コメント

女子が少なかった理由とか、分かりやすくて、
いいと思います。

投稿者 432 : 2004年11月24日 11:12

明治9年の様子がよく分かった。昔もオルガンがあったのは知らなかった。

投稿者 Anonymous : 2004年11月24日 11:13

他の学校の人数も書いてありその頃はどこも女子や教員の人数は少なかったんだ、ということがよく分かりました。女子が少なかった理由も分かりやすくていいと思いました。

投稿者 404 : 2004年11月24日 11:17

よく調べていていいと思います。

投稿者 407 : 2004年11月24日 11:19

明治の登米小学校、生徒数、義務教育、女子が少なかった理由など普段知らないことが詳しく載っていたのですごくよかったと思います。

投稿者 423 : 2004年11月24日 11:27

当時の小学校のことや生徒数のこと、女子が少なかった理由など、詳しく書かれていて良いと思います。

投稿者 314 : 2004年11月24日 11:50

女子が少ない理由などが、詳しくのっていて、良かったと思う。

投稿者 323 : 2004年11月24日 12:13

コメントしてください




保存しますか?