鹿野小ブログ

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児童が安心して学び、保護者・地域が安心して託せ、教職員が安心して働ける学校を目指して

6月11日 「6.12...県内最大の被災地」

(今日は少し趣向を変えた内容をお伝えします)

明日は6月12日。今から43年前,「宮城県沖地震」が発生した日であり,仙台市にとっては「市民防災の日」でもあります。

そして,「6.12」は,鹿野小学校にとっては,東日本大震災が発生した「3.11」と同じくらい,大切に語り継いでいくべき日でもあります。

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昨年もこのブログで「6.12」のことについて,学校の「沿革史」に残る記録について紹介しました。

その後,当時,県知事や市教育長からいただいた表彰状も書庫の奥から見つかりました。

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これらは,鹿野小学区が,当時,地域防災の先進地だったことを示す記録です。

また,地震が発生した1978年は,鹿野小にとって「開校20周年記念」にあたる年であったため,「記念誌」には当時の被災や対応の様子が様々な形で記録されています。

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今日はその中から,当時の2年生が書いた作文を紹介します。

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こわかったじしん 2年生

わたしは、じしんのあった日、夕がた、おばあちゃんに、「おさん歩に、行こう、行こう。」と、せがみました。おばあちゃんは、「それでは、しかたがないから、かりのさんのうちに、行きましょう。」と、いいましたので、わたしは、うれしくなりました。
うら道を、おばあちゃんと、手をつないでのぼるとき、夕日がさして、あつかったです。かりのさんのうちについたら、かりのさんのおばさんが、「さっき、かるいじしんがあったんですよ。」と、いいました。わたしの、おばあちゃんが、「歩いたけど気がつきませんでしたよ。」と、いいました。それから、おみやげをだしました。
しばらくたつと、ガラガラと、おうちがゆれました。わたしは、こわくておばあちゃんにすがっていました。かりのさんが、「だいじょうぶよ。」「だいじょうぶよ。」といって、かりのさんのおばさんが、わたしの手を、つよくつかんで、ガラス戸をあけました。そのとき、前のうちのおにわが、がけの下にくずれました。男のこがじてんしゃで、見にきました。わたしは、「かえる。」「かえる。」と、いったら、「もうすこし、まちなさい。」と、いわれて、しずかになってから帰りました。
とちゅうのかいだんに、ブロックベいが、くずれてこわれていました。おばあちゃんと、わたしがびっくりしました。
わたしは、じぶんのうちへはしっていきました。おうちにはいったら、たんすがたおれていました。じゅうたんに、ウイスキーのびんが、おちて、あるけませんでした。
ウイスキーのびんがこわれて、ウイスキーのにおいが、プンプンとにおいました。すこしたつと、おにいちゃんが、友だちと帰ってきました。それから、おばあちゃんが、おうちがしんぱいで、いそいで緑ヶ丘のうちへ帰りました。
おにいちゃんが、ラジオをききました。つなみがこないのであんしんしました。


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当時の様子が生々しく伝わってくる作文です。この子もきっととても怖い思いをしたことでしょう。

当時の学校の被害状況の写真も見つかりました。

崩れた屋根瓦
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落ちた天井
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崩落した体育館の壁
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ひび割れた校舎
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そして,この時,緑ヶ丘地区は,当時「県内最大の被災地」と言われた大きな被害が発生していました。さらに,2011年の東日本大震災でも被害が発生しました。

こうした地域の災害の歴史を学ぶことは,地域の未来を考えることに繋がります。これからも子供たちとともに,未来の鹿野学区を考えながら,「防災教育」に取り組んでいきたいと思います。

#防災

▽今日の給食のメニュー「肉団子スープ」に使った肉団子は,鉄分を強化したものです。日頃「鉄分」はとれているでしょうか?

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▽来週は土曜日の「引き渡し訓練」までの長丁場となります。週末しっかり休んで,来週も元気に学校に来てほしいと思います。

待っています。
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