学区の紹介
上野山は,仙台市の南西に位置し,名取川・笊川・太白山・紙漉山などに囲まれ,都市近郊としては自然環境に恵まれている。また,遠く蔵王の雄峰を仰ぎ,東に太平洋を望む風光明媚の地でもある。この環境に注目し,中・小団地の造成が行われ,いまや仙台市のベッドタウンとして一大飛躍をとげている。当学区は,昔は東街道の道筋にあたり,「船渡」「羽黒神社」「鈎取」を経て,鹿野への道の跡がある。名所旧跡の多い所でもある。学区には,国立療養所西多賀病院・西多賀養護学校・西多賀ワークキャンパス・山田中学校・山田市民センターなどの教育・福祉施設がある。
笊川
一級河川
太白山の北西を源として東へ流れ,佐保山,鈎取の北側を流れて,鈎取寺の南を経て,後田川と合流したあと,富田,富沢と流れて名取川に注いでいる。一時期生活雑排水の流入により環境を悪化させていたが,流域住民の努力により清流を取り戻しつつある。
鈎取八幡神社
源頼義,義家が奥州征伐のさいこの地に休憩し刀を奉納し武紳として祀ったとも伝えられ,大崎一族が陸奥五郡を支配するようになった時,東北各地に八幡様を祀った際に祀られたとも考えられている。御姿像は,武将が馬に乗り弓を携え矢を背負っている木像で,高さ40cmほどである。周囲の杉の木は江戸時代に植えられたものという。
医王山鉤取寺
承和2年(835年)に西翁和尚が開山し,当時は現在の国立療養所西多賀病院周辺に朱塗りの立派なお堂があったと伝えられる。これが,「紅堂」という地名の由来になったともいわれている。寛永13年(1636年)に輪王寺第13世角外麟如大和尚が再建したが,昭和20年7月の仙台空襲で焼失,その後再建されている。ご本尊は薬師如来である。また,ここには仙台七福神のうちの福禄寿が祀られている。
実相山耕田寺
天和元年(1681年)に輪王寺第14世松巖和尚の開山と伝えられている。ご本尊は地蔵菩薩である。旧国道286号線に面して,耕田寺の無縁塔である「聖観音」が建立されている。
鈎取太子堂
正保4年(1644年)に島貫次左衛門により再建されたものといわれている。ご本尊は聖徳太子である。聖徳太子の像が祀られており,その像は,太子16歳の時に,父用明天皇の看病をし,香をたいてお祈りをした時のお姿であるといわれている。
羽黒神社(羽黒台)
昔は県立農業短大の西側の西森あるいは羽黒山とも呼ばれた高台にあった。現在は,羽黒台団地内の羽黒台地内に移転されている。建立は和銅3年(710年)以前といわれ,天喜4年(1056年)に再建された。羽黒台神社は,「濡れ羽黒」といわれ,干ばつの時御神輿を出御して祈願すると雨が降ったといわれている。また,作神様としてあがめられている。眼病に霊験があり昔は参拝する人も多かったという。
羽黒神社(上ノ台)
羽黒台の羽黒神社の仮宮として建立される。
山田上ノ台遺跡
旧石器時代から縄文時代,平安時代,江戸時代にいたる大複合遺跡で,様々な石器や土器,遺構などが発掘されている。縄文中期末の竪穴住居跡が発見され,県内でもはじめて同時期の住居の立地・移動・付属遺構など,縄文集落のあり方を明らかにするものとして注目された。
北前遺跡
山田上ノ台遺跡から北に約200mのところにある。旧石器時代から江戸時代にいたる複合遺跡で様々な石器や土器などが発掘されている。縄文時代の竪穴住居跡が多数発見され,当時の集落の様相が明らかにされた。また,平安時代の住居跡や近世の墳墓なども発見され,県内でも有数の大集落跡である。