上杉山通小学校  学区の散歩道  

第4回  前回に引き続き,歴史的町名についてのうんちくです

 
仙台市では市制88周年記念事業として昭和52年から平成6年にかけて「辻標」を街角に建て,パンフレットや地図の作成を行ってきましたが,その後も,文化遺産ともいうべき歴史的な町や通りの名称を現代の市民生活やまちづくりに生かせないかという声が高まってきたことから,仙台開府四百年を契機に,それらの活用を図る「歴史的町名等活用推進事業」に取り組んでいます。
 
  
と仙台市の事業を前回記事に載せました。が,いろいろと調べていくうちに,学区内にはまだまだいろいろとおもしろい町名がありますので紹介したいと思います。
 

 
同心町(どうしんちょう)
 
町奉行の配下にあった同心衆が,まとまって大仏前から北三番丁の北端にわたり配置され,屋敷を構えました。この一画を同心町と呼んでいたそうです。同心町の東側北端から北三番丁に通じる街路が同心町通と呼ばれ,概ね侍屋敷の丁であったそうです。現在の町並みに合わせてみると,錦町公園の東側からCATVの裏をぬけて北三番丁に北上する道に重なるようです。ちなみに,同心丁ビルや同心親和・同心町通など子供会の名前にその町名がのこっています。

 
長刀丁(なぎなたちょう)
 
古くは空堀丁から定禅寺通,中杉山通を経て同心町までの丁で百石前後の侍が住み,末無しともいったそうです。その通りが緩やかなカーブを描いて外記丁通に通り抜けていました。その道の形が長刀に似ていることから付いた名前なのだそうです。その突き抜けていた先には,現在,宮城県警本部が建っています。
 

 
空堀丁(からほりちょう)
  南は花京院通から,北は二本杉通の南端に続く丁で,寛文年間(1661〜73)に造成され,中位の侍が住んでいた屋敷の丁でした。四谷堰堀の通路にあたっていたが,この堀が土地の自然の隆起で空堀になったため,この名で呼ばれるようになったらしいです。(乾堀町とも表すことがあったらしい)空堀が作られたわけは仙台の町が,雨や雪溶けの頃には排水が悪く,すぐに泥んこになり、しかも天気が回復していったん乾燥すると土埃が舞い上がってしまったようです。「17世紀末に空堀が作られたのは、こうした状況を少しでも改善する目的もあったと推測される」と専門家は分析しています。

 
ここでもう一つうんちくを
  錦町の話です。錦町は江戸時代,長丁と呼ばれていました。寛永年間にできた侍丁で,明治中期に定禅寺通と結ばれて便利になり,電車開通でさらに街が広がりました。昭和3年,名取郡長町が仙台市に編入したとき,その音が「ながちょう」と「ながまち」と紛れ易く,誤解が生じたことから,昭和十年に錦町と改名しました。だから侍町にもかかわらず町の名が付いているようです。

宮城県警南東側の長刀丁の辻標 同心町通のなぜが侍丁なのに「町」の表示 見つけづらいところにある空堀丁の表示
画面奥から長刀のようにカーブしています。 同心町を南から望む。昔とほぼ同じ道幅。 空堀丁にある大きなシラカシと古い洋館