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養種園遺跡

中世の土壙墓群や,近世の伊達藩主に関わる屋敷跡を発見。

ようしゅえんいせき

養種園遺跡

Yoshuen iseki

所在地

若林区南小泉1丁目
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解説

養種園遺跡は,市の東部にあり,若林区役所の南側に位置する。若林区文化センターの立つ旧養種園跡地を中心に広がり,広瀬川左岸に広がる自然堤防北端部に立地する。標高は約13mで,面積は約87,700㎡,範囲は約300m四方である。北側約1kmには陸奥国分寺跡がある。平成3年(1991)から行われた文化センターおよび都市計画道路建設に先立つ発掘調査で,縄文時代から江戸時代にわたる複合遺跡であることがわかった。特に中世の遺構群,戦国期の屋敷跡,江戸時代の庭園を伴う屋敷跡が注目される。中世の遺構群は鎌倉時代から室町時代前半期にあたり,墓跡,道路跡,屋敷跡である。土坑墓群は約70基が直径約30mの範囲に密集して検出され,庶民の墓と考えられ,当時の葬送を知る貴重なものである。屋敷跡では3棟の建物が発見されている。うち1棟は,四面に庇をもつ大きなもので,有力者層の屋敷と考えられる。戦国期の屋敷跡は室町時代の後半期頃のもので,二面に庇をもつ大きな建物と小建物と堀で構成されている。武士階層の屋敷跡と考えられる。屋敷の東側には堀で囲まれた建物群の他,鍛冶炉や墓跡なども発見されており,町並みの存在が想定される。当時陸奥国分寺門前には国分日町という市町があったと伝えられており,この市町との関連性も考えられる。江戸時代の屋敷跡では,堀跡が遺跡の東側と西側で発見された。東側の堀は,国分小泉屋敷と呼ばれる,4代藩主綱村が造営した伊達家別荘の北西部分と考えられる。堀幅20m,深さ3mの大規模なものである。東西115m,南北57mの池も発見されている。西側の堀は西辺と北辺の一部が発見され,別荘より古い時期の,2代藩主忠宗の別荘である御仮屋に関係する堀と考えられる。この遺跡の北側を七郷掘が流れているが,堀以南では別荘遺構以外の近世遺構が確認されていないことなど,七郷堀の北と南では場の使われ方に違いがみられる。

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