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町田遺跡

縄文時代の狩猟と,平安時代から近世にかけての居住に関わる遺構を発見

まちだいせき

町田遺跡

Machida iseki

種別区分
集落跡 包含地
年代
縄文時代 平安時代 中世 近世
面積
10,700㎡

所在地

太白区茂庭字町北
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解説

町田遺跡は,市の西部にあり,東北自動車道仙台南インターチェンジの北西1.7kmに位置する。標高69mの河岸段丘に立地しており,面積は約10,700㎡である。宮城県教育委員会による昭和62年(1987)の調査と平成2年(2000)の仙台市教育委員会による調査で,縄文時代の狩猟に関わる遺構群と,平安時代から近世にかけて主に居住に関わる遺構群が発見された。縄文時代の遺構群の主体は,落し穴と考えられる土坑である。20基以上発見されており,平面形から以下の2つに分けられ,それぞれ間隔をあけて列をなしている。1つは,底面の平面形が楕円形ないし長方形を呈する。大きさは,長さ80~150cm,幅35~70cmである。底面にはピットが1個ないし2個あるものと,ピットがないものがある。他の1つは,底面の平面形が溝状を呈する。大きさは,長さ270~320cm,幅13~20cmである。落し穴の用いられ方には,イノシシ,シカを対象とした追込み猟と罠猟が考えられている。底面のピットには棒状のものが立てられていたことが,他の遺跡の調査で確認されており,落下した動物を殺傷するために逆茂木にしているとする説と動物の自由を奪うための仕掛けとする説がある。具体的な狩猟方法にはまだわからないこともあるが,これらの落し穴は,この遺跡が縄文時代に狩猟域として使われていたことを示している。平安時代以降は主に居住域としての土地利用が長期にわたって行われている。平安時代では竪穴住居跡3軒と掘立柱建物跡1棟,中世~近世では50棟以上の掘立柱建物跡のほか,多数の土坑や近世の墓などが発見されている。

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