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富沢館跡

仙台藩士の在郷屋敷としても使われた中世の城館跡。

とみざわだてあと

富沢館跡

Tomizawa-date ato

種別区分
城館跡
年代
縄文時代 中世 近世
面積
114,700㎡

所在地

太白区富沢字舘・舘東・熊ノ前
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解説

富沢館跡は,市の南部にあり,JR仙台駅の南西約5.3㎞,名取川の支流である笊川沿いの標高約16mの自然堤防上に立地している中世城館跡である。周辺には南に隣接して鍛冶屋敷前遺跡が広がっている他,鍛冶屋敷A遺跡,鍛冶屋敷B遺跡,六本松遺跡がある。北には富沢遺跡,山口遺跡,東には下ノ内遺跡,伊古田遺跡,下ノ内浦遺跡,六反田遺跡があり,市内でも有数の遺跡の密集地帯である。遺跡の範囲は東西約400m,南北約300mで,面積は約114,700㎡である。周辺の地形をみると,遺跡の北側は,河川改修工事によって地形が改変されているが,東西と南に広がる水田のうち,標高の高い宅地や畑地沿いに一段低い水田が取り囲むように連続して認められる。周辺より高い部分が城館の郭内,細長い水田は堀と推定されている。富沢館跡は,江戸時代には仙台藩士入生田家の在郷屋敷として使われており,入生田家について記述した書物である『入生田家之故実』には「西に三重,南に弐重,北に和賀河ともに二重也。土手形共に右に同じ」という堀と土塁の配置についての記述がある。また,館の造営について『館記』『入生田家之故実』では北目城主であった粟野大膳による造営かという記載があるが,造営者や造営時期等の詳細は不明である。館跡中央の西側に土塁が長さ140m,最大幅13m,高さ2mの規模で残存しており,周囲に三重の堀が巡っていることが確認されている。また,土塁の西側に西光寺という寺院が存在していたと伝えられ,入生田氏の墓が残されていたが,現在は移設されている。なお,近年の調査で,下層から縄文時代後期の竪穴住居跡などが検出されている。

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