6月8日 開校記念式典の話   昔の笊川って?  
6月の開校記念式典の様子です。校長先生が30年前の大野田付近の航空写真を見せてくださいました。
 

 
平成15年ころの大野田周辺

 
平成5年ころの大野田周辺

 
昭和52年ころの大野田の航空写真です。住宅地である大野田のほとんどが田畑です。


 

交通指導隊の佐藤さんたちが来てくださいました。

佐藤さんは
「私は昭和38年に大野田に移り住んできました。

当時は近くのショッピングモールはもちろんありませんし、目の前を走る幹線道路もありませんでした。

大野田小学校もまだなく、家から西に太白山が見え、八木山もよく見えたんですよ。

あたりに広がっているのは田んぼと畑だけでした。

木流し堀から流れる笊川の流れもきれい
でした。」










9月4日 旧笊川クイズに挑戦!! 
 

 
まだ旧笊川のことについてよく知らない私たちは、旧笊川にかんする記事をもとにしたワークシートで学びました。

笊川は昭和20〜40年代にかけて何度も氾濫する川であったこと、水害で何度も床上浸水する地区があったこと、私たちが知らないことをたくさん知ることができました。
 
当時の写真にはなんと家と家の間を船で移動する様子もありました。







9月8日 クイズのあと疑問や質問をまとめてみました。 
笊川クイズで知りたくなったことをアンケートにまとめて大野田地区に40年前から住んでいらっしゃったMさんにお願いしました。

Mさんのお話の内容とアンケート











10月6日 インタビューに行ってきました! 
最初に調べるきっかけをくださった佐藤さんにインタビューに行きました。

佐藤さんがこちらに移り住んだ昭和38年頃の大野田地区について教えてください。

@当時の笊川は主に何に利用されていましたか?
「野菜を洗ったりしていましたよ。米をとぐこともありました。」
               

A 当時の笊川のにおいや見た目はどうでしたか?
「においなんてありませんでしたよ。きれいでした。」


B 当時の笊川にゴミがあったとしたら、それはどんなゴミでしたか?詳しく教えてください。
「ありませんでしたよ。きれいでした。」


C 当時に笊川の清掃活動などがありましたか?またそれはどこが中心になっておこなわれていましたか?
「なかったと思います。」


D 当時の笊川にいた生き物(何でも可)を教えてください。どんな小さなものでもかまいません。たくさん教えてくださるとうれしいです。
「今いる魚類は全部いたと思います。」


E 当時時期に笊川ではどんな遊びがされていましたか?
「川遊びかな。つりもしていたと思います。」


大野田地区の水害と笊川の関係についてご存じのことを教えてください。
F 大野田地区は昭和20〜30年代にかけて大きな水害に何度かあっていますが、台風などで起こった水害から何日くらいで水はひきましたか?
「2〜3日です。1日でひくこともありました。」


G 雨でどのあたりの地区まで水がたまりましたか?地区名で答えてくださると助かります。
「下流の諏訪あたりだと思います。」

B大野田地区が水害を受けているとき、どんな行動をとりましたか?また水が引いた後大変だったことは何ですか?
「友だちがいたので心配して見に行ったり・・・。うろうろしていましたね。心配でもどうしようもなかったんだけど。とにかく昔はトイレが汲み取り式だったから、汚物があがってしまって大変でした。においもね。」

C洪水の時、食べ物飲み物はどうしていたんですか?
「特にこまったという話は聞きません。」

              
「お忙しい中アンケートにご協力いただきありがとうございました。」











10月9日 またインタビューに行ってきました!  
昭和25年頃大野田地区に移り住んだ庄子さんにお話を聞くことができました。
 
昭和25年頃の大野田地区について教えてください。

@当時の笊川は主に何に利用されていましたか?

「下流の諏訪の人たちは、野菜や米を洗うのにも利用していました。ここらあたりでは農業用水に使うのがふつうだったねえ」
               

A 当時の笊川のにおいや見た目はどうでしたか?

「澄んでいましたよ。きれいだったね。」

B 当時の笊川にゴミがあったとしたら、それはどんなゴミでしたか?詳しく教えてください。

「ほとんどなかったねえ。枯れ葉とかはあったと思いますが。」


C 当時に笊川の清掃活動などがありましたか?またそれはどこが中心になっておこなわれていましたか?

「ありませんでした。(戦後で)それどころでなかった。食っていくことにせいいっぱいでしたよ。」


D 当時の笊川にいた生き物(何でも可)を教えてください。どんな小さなものでもかまいません。たくさん教えてくださるとうれしいです。

「鮎、鮭、ハヤなどなんでもいましたよ。ホタルもよくとんでいましたよ。」



E 当時時期に笊川ではどんな遊びがされていましたか?

「楽しみってこと?楽しみはつりこ(つり)だけですよ。当時は大人も釣り糸をたらすことが多かったんです。」



大野田地区の水害と笊川の関係についてご存じのことを教えてください。
F 大野田地区は昭和20〜30年代にかけて大きな水害に何度かあっていますが、台風などで起こった水害から何日くらいで水はひきましたか?

「長くても2日です。たいてい1日でひきました。私の住む家の前の道路は、木流し堀からきた水で川のようになったいましたが、すぐに流れきりました。」


G 雨でどのあたりの地区まで水がたまりましたか?地区名で答えてくださると助かります。
 
「下流の諏訪というあたりまでです。」


B大野田地区が水害を受けているとき、どんな行動をとりましたか?また水が引いた後大変だったことは何ですか?

「畑を見に行ったり、田んぼを見に行ったりくらいです。水がひいたあと、道路は泥だらけで50センチ近くつもっていた場所もありましたから、片付けは本当に大変でした。」


C洪水の時、食べ物飲み物はどうしていたんですか?
「農家だったのでたくわえがありました。」


              
「お忙しい中アンケートにご協力いただきありがとうございました。」
















11月17日 梅津さんが来てくださいました!!
  
大野田太子堂地区に昭和30年頃から住んでいらっしゃる梅津さんをお迎えしました。

梅津さんはたいへんていねいに私たちに分かりやすくお話をしてくださいました。

※表記が笊川になったり旧笊川になったりしていますが、両方旧笊川のことです。

水害と旧笊川
「皆さんのそばを流れる笊川は、北の梅田川、南の笊川(旧笊川)といわれるくらいすばらしい川だったのですよ。それは両方とも、自然の川のままであったからです。ほかの川のように人工的な堤防もなく,生き物がたくさんいるすてきな川だったんですよ。」

「昭和45年に釜房(かまふさ)ダムが名取川の上流にできるまで、名取川も笊川もよくはんらんしました。笊川は暴れ川として有名でした。」

「私は昭和30年に引っこしてきましたが、その時から15回の水害にあっています。そのうち実に8回が床上浸水でした。」

「床上浸水になりそうだと、昔はまずタタミを上にあげました。ただあげるのではなく、がんじょうな棒を用意して、その上に畳を上げたんです。こうすることで床の上に中2階ができました。お母さんがおにぎりをにぎってくれて、用意した水を飲んで水が引くのをゆっくり待ったものです。」
←こんな感じ?想像図

「水はすごい勢いだったので、当時のぼっとんトイレの重いふたは『ボン!』と大きな音を立てて外れてしまい、中のし尿がどんどん出てきてしまいました。」

「水が引いた後、かわく前に消毒することが大変でした。においも大変でしたから。」

「でも当時から水道局の方や、東北電力の方ががんばってくれたおかげで停電や断水はほとんどありませんでした。」

「ではどうしてそんな水害の多い太子堂に住み続けたのかと言いますと、私は自然あふれる笊川が大好きだからです。夏に夏の、冬には冬のよさがあります。旧笊川のある生活の良さ、豊かさを愛しているんです。どうしても捨てられなかったんです。父は
『川とともに生きるのが人』
と言う言葉を言っていました。つらいことはありましたが、それ以上に川は心と体を豊かにしてくれたんです。」



笊川に住んでいた生き物
「以前お話ししたとおり川の土手には、ホタル・ウナギ・イタチ・ネズミがおり、イノシシやタヌキなどがいました。川の中にもたくさんの生き物がいました。鮭も大群で上ってきましたし、あゆもよく泳いでいました。」

「そうですね。他には野ウサギもいたんですよ。」

「野ウサギ!!?ペットじゃなくて?」

「そうですよ。土手のあたりに穴をほって生活していましたよ。」




笊川の利用
「笊川は当時様々なものに利用されていましたよ。大人も子供もいこいの場所でした。」

「海パンをはいてプールがわりに使っていたこともありました。」

「野菜を洗ったり、田んぼに水を引いたり、洗たくもしていましたよ。」

「また当時の国鉄長町駅は全国有数の機関区でした。そこを走る機関車はなんと旧笊川の水を使っていたんですよ。」

「おお〜〜〜!!」

「でもいつの頃からか、そうですね。40年前かな。そのあたりから、旧笊川は家庭から出る汚水や工業排水を捨てる場所になってしまったんですね。残念ながらにおいもする汚い川になってしまいました。」

「ものを生み出す過程で、周りの人のことや環境にちょっぴり配慮が足りなくなったのですね。ポイ捨てが増えたのもそういうことだと思います。」






これからの笊川
「平成になって、このままではいけないという雰囲気が地域にできました。そこから20年たってやっと今の旧笊川にまでなったのです。」

「55年前当時に比べればまだきれいとはいえません。ホタルやカワニナも人の手を借りなくては,まだ十分に生きていくことはできないからです。でも20年かけて汚した川は、たくさんのお金と人の力を借りて、さらに20年かかってやっときれいになってきたところです。」

「私は旧笊川は地球環境のバロメータの1つだと考えます。
皆さんの手で、旧笊川がきれいになれば、地球もきれいになるのではないか!と考えています。」

「ほんの少しでいいです。きれいな川にしてください。それを楽しみにしています。」

         
              「お忙しい中ありがとうございました。」

         
感想から
 このお話を聞いて『旧笊川をきれいな川』『たくさんの動物が住める川』にするためにもっとがんばろうという気持ちになりました。
 水害については大変だったんだな〜と思いました。昔は川で水遊びをしていたと聞いて、今の川がきれいになってそういう風に遊べる川になれたらいいなと思いました。梅津さんありがとうございました。










〜12月10日
 まとめをしていました。 
 
庄子さん、Mさん、佐近屋さん、そして梅津さん。貴重なお話をたくさん聞けた私たちは
まとめを書き始めました。

 
未来の「旧笊川」などを描いてみるのもおもしろいということになっています。







〜12月15日
 未来の旧笊川を制作中です。

もうすぐ私たちの考える「未来の旧笊川」を公開します。
1月中旬を目指しています。







1月12日
 未来の旧笊川@私たちの望むもの 目指すもの
今私たちが考えている未来の旧笊川の一部を紹介します。



私たちの考えた未来の旧笊川を紹介します。川にはゴミがなくて、透き通っていてとてもきれいです。川ぞいにはベンチがあり、みんなのいこいの場になっています。鳥小屋もあり、花々も咲きほこっています。







1月18日
 未来の旧笊川A私たちの望むもの 目指すもの
四季を楽しめる川にしたい!


冬眠からさめて元気に走り回っている動物たちがいます。川には桜の花びらが流れています。


暑いから川で泳いだり、浮かんだりしています。その周りには夏の虫や花があります。みんなで楽しめる川です。


夕方になると、赤とんぼがとんできて川岸には小動物が歩き、気から落ちた落ち葉が川に浮かび流れています。


川が凍り、スケートをしたりできます。寒い中でも人の集まる場所になっています。







2月8日 未来の旧笊川B私たちの望むもの 目指すもの

未来の笊川ではまだ私たちが作ったゴミ箱を使ってくれていたらうれしい。

にぎやかで明るい場所になっており、たくさんの人が遊びに来る

ゴミは(当然)ない!

にごっていない!

あざやかな花がたくさん咲いている!

川が光ってキラキラしている!

未来の私たちの後輩と、私たちが地域でゴミ拾いをしている!
地域の方々にもたくさんのアンケートをよせてもらいました。

       
  地域の願いNo.1       地域の願いNo.2        水害の記憶


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