宮城野散策 「新屋敷」     H20.7.31

 宮城野小学校から西南に宮千代児童公園があります。そこには宮千代の塚があることを
7月に紹介しましたが,宮千代の墓の隣にもう一つ,戸津利源太藤原高弘の墓があります。
高弘氏は新屋敷と,とても関わりが深かったようです。
 

(PHOTO 宮千代の碑)
 宮千代の碑の右側に,この戸津利源太藤原高弘の墓があります。
 

 戸津家は代々馬術で名を知られた仙台藩士で,南目村原町に土地をもっていました。

 

(PHOTO 戸津利源太藤原高弘の墓)
 高弘氏は藩主から命を受けて,この地の再開発を指導したとされています。

 
 当時,天明年間の大飢饉のため,仙台領内はもちろんのこと,この周辺も,とても厳しい状況で,荒廃していたようです。「餓死の年」と呼ぶ人もいたようです。

 高弘氏はこの状況に心を痛め,開発に力を注ぎました。そして新たに農民を移住させて,20戸を超える新屋敷となったようです。

 

(PHOTO 宮千代児童公園)
 この再開発により住民の暮らしは改善し,安定した生活ができるようになりました。

 この地に植えた芋はとてもおいしかったようで,その「芋の子汁」で客をもてなすこともあったそうです。

 住民は高弘氏の功績をたたえて,嘉永6年(1863年)2月にこの墓を建てました。