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<title>１年登米自主研修</title>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/toyoma/</link>
<description>
トリビアin登米－小さな発見大きな真実－
仙台市立郡山中学校１学年Dtime 登米自主研修 2004.11.1/発表12.1</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2004</copyright>
<lastBuildDate>Wed, 24 Nov 2004 12:08:43 +0900</lastBuildDate>
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<title>No.135「凹型の校舎は授業の様子を見るためにある。」</title>
<description><![CDATA[<p>■教育資料館で調べてみた<br />
教育資料館は登米町にある、国の重要文化財に指定されている。<br />
明治21年に建てられた木造校舎である。<br />
バルコニーや、六角形を半分に切った形の昇降口や1階と2階までの木がつながっていることなど特徴の多い校舎だった。<br />
■凹型の校舎計画<br />
凹の形の校舎は、旧登米高等尋常小学校を建てる前は、Ｌ字型にする計画だったが凹の形に変わった。<br />
理由は凹の形の方が授業の様子や休み時間の様子など見やすいし、Ｌ字型も同じだが、直線の方がいろいろの場所に行きやすいから凹の形になった。<br />
■旧登米高等尋常小学校を建てるための予算は・・・<br />
建設費は3500円だった。(当時の値段で3500円。今の値段でいうと、45500000円。)総事業費、5874円。(当時の値段で5874円。今の値段で言うと6607962000円。)資金がほとんどで506日で建てられた。<br />
昔の小学校よりも、旧登米高等尋常小学校はお金がかかった。<br />
だが、1階と2階の木がつながっているのは、お金が足りなかったからだった。<br />
■旧登米高等尋常小学校は凹型をはじめ、様々な工夫がしてある学校だった<br />
1番目をひくのは、白くてギリシャ風のバルコニーだろう。<br />
木の廊下は、(吹き抜け廊下)雨にぬれやすく、しかも腐りやすかったため、亜鉛版をしきつめていた。<br />
バルコニーは1番雨にぬれやすかったため同じく亜鉛版がしきつめられていた。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no135.html</link>
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<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:08:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.134「春蘭亭は武家屋敷だった。」</title>
<description><![CDATA[<p>■春蘭亭は一般公開されている<br />
春蘭亭はお店の名前である。<br />
お店の由来は登米に自生する春蘭を加工したお茶を出したことからこの名が付いた。<br />
■春蘭亭のメニュー抹茶、春蘭茶、コーヒー、甘酒、ソフトクリーム<br />
春蘭亭のあゆみ<br />
■春蘭亭は直屋形式である<br />
登米の武家屋敷は別棟の「ひろま」と証する書院座敷を前面に配するのが一般形式。<br />
鈴木氏は、この書院座敷に相当するものを別棟とにせず直接、主屋に取り込んだものが直屋形式である。<br />
■春蘭亭は一般に公開している武家敷<br />
春蘭亭が開かれていることで武家屋敷の様子を細部まで詳しく見ることができる。<br />
武家屋敷なのに喫茶店である。<br />
武家屋敷をみんなに見せようとする登米町の人の思いがあった。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no134.html</link>
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<category>１組　春蘭亭</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:07:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.132「町のいろいろな所に玄昌石が落ちている」</title>
<description><![CDATA[<p>■玄昌石が落ちている、また、使われている所<br />
水沢県庁記念館の屋根に玄昌石が使われている。<br />
教育記念館の近くの道にふつうの石といっしょに玄昌石が混ざっている。<br />
ふつうの道にふつうの石のように玄昌石がおちている。<br />
■和洋折衷の和と洋の部分とその理由<br />
山添喜三郎は洋風建築の和の部分に玄昌石を使うことにこだわった玄昌石は和洋折衷の和の部分にかかわってくる。<br />
水沢県庁記念館の「和」は玄昌石を使っている屋根、「洋」は、いすや机など。<br />
■教育資料館の洋風建築<br />
2階のバルコニーが校舎の中心で、シンボル的な役割をしている。また、バルコニーから全教室が見える。<br />
教育資料館は山添喜三郎が建築しており、当時の洋風建築はあたりまえだった。<br />
校舎をコの字型にした理由は、校舎全体を知るために、また、授業の始めと終わりを知らせる鐘にも近いから、コの字型にした。<br />
■建造物を現存させるための建築方法の工夫<br />
工夫1、木抗を地下深く打ち込む。<br />
工夫2、その上に粘土、砂、砂利、石灰などを混ぜ合わせたものをつき固める。<br />
工夫3、さらにその上に、稲井石という石を切石としてすえる。<br />
工夫4、それに土台をのせている。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no132.html</link>
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<category>１組　玄昌石</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:05:45 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.131「昔は木製が多かった。」</title>
<description><![CDATA[<p>■留置場の牢屋は木製。<br />
今の牢屋は、鉄でできた物で昔の牢屋は木で作られた。<br />
昔は、木で出来ていて時々、脱獄する者もいた。今は、鉄で出来ていて脱獄する者が少なくなっていった。<br />
■小学校の机、椅子は木製。<br />
旧登米高等尋常小学校の教室の中の机と椅子は、とても古くて100年以上も経っている。今では、木製と鉄で出来た机と椅子が出来ていて今もどこかの業社で作られている。<br />
（宮城県沖地震）大地震のせいで崩壊寸前でいつ崩れてもおかしくない状態でした。復旧工事に何年か、かかってやっと復旧工事が終わった。<br />
バルコニーも木製。<br />
■警察資料館</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no131.html</link>
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<category>１組　木製</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:04:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.130「旧登米高等尋常小学校校舎の柱についているうずまきのようなものは、ふくろうを表している。」</title>
<description><![CDATA[<p>■ふくろうはどこについているのか<br />
旧登米高等尋常小学校の校舎の形はコの字だが、そのバルコニーの見える内側の縦に伸びる太い柱についている。<br />
その太い柱は、1階と2階で1本、つまりつながっている。そのなかでも2階の柱の上のほうに2つ、左右についている。<br />
■ふくろうには何の意味があるのか <br />
当時、ふくろうには2つの意味があった。<br />
1つは、ふくろう＝不苦労＝苦労をしない、という意味。<br />
もう1つは、厄を寄せつけない、魔除けの意味がある。<br />
■なぜうずまきの形になったのか<br />
うずまきのようなものは、ふくろう自体を表しているのではない。<br />
ふくろうの目を表している。<br />
■ふくろうは学校の守り神だった<br />
ふくろう（）<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no130.html</link>
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<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:03:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.129「登米高等尋常小学校は廊下で朝会をしていた」</title>
<description><![CDATA[<p>■登米高等尋常小学校に詳しい人はこう語る<br />
登米高等尋常小学校は明治21年10月に建てられた、当時の洋風学校建築を代表する建物である。<br />
廊下は1階2階とも吹き抜けの片廊下式となっている。<br />
■片廊下式の廊下とバルコニーの役割<br />
教室の前面に吹き抜きの廊下を配した質素堅牢な造り。<br />
バルコニ－は、校舎全体の中心的な位置にあり、シンボル的な役割を果たしている。<br />
■登米高等尋常小学校ではこうして朝会をした<br />
雨が降っている時生徒は廊下に並び校長はバルコニーにそして朝会をした・・・!<br />
■登米高等尋常小学校は廊下で朝会ができるすごい学校だった<br />
登米高等尋常小学校は雨が降っても朝会が出来た。<br />
ちなみに、廊下で朝会の出来る学校は他にまず無いだろう。<br />
それは、校舎がコの字型で、バルコニーがあるから。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no129.html</link>
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<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:02:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.128「尋常小学校は洋風にした方がいいと思った所は洋風にした。」</title>
<description><![CDATA[<p>■建築に詳しい人はこう語る<br />
尋常小学校は外見を洋風にしたため、その頃にとってはめずらしかったため、昭和56年に、重要文化財に指定された。<br />
基本は和風。<br />
■洋風にこだわった訳ではない。<br />
和風より洋風の方がいいと思った所は洋風にした。<br />
■洋風にした所は？<br />
バルコニ-を支えている柱で、どこが洋風かというと、洋風の柱はふつうは丸いがバルコニーの柱は和風で四角い、だがその柱には、みぞが3本彫ってある、みぞが彫ってあるのは洋風。<br />
洋風、和風にこだわったのではなく、洋風と和風を組み合わせてつくった所もあった。<br />
■尋常小学校は本当に洋風建築なのか<br />
尋常小学校は、洋風建築に見えるがそれは、外見だけである。<br />
内部構造は伝統的ながっちりした和風でつくられている。<br />
こういった構造は「擬洋風」という。<br />
尋常小学校は洋風にした方がいいと思った所は洋風にした。<br />
尋常小学校は、洋風は外見でおしゃれ。<br />
内部構造は頑丈じゃないといけないので和風。<br />
尋常小学校は洋風にした方がいいと思った所は洋風にした、すごい学校。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no128.html</link>
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<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 12:01:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.127「尋常小学校宮城県沖地震の為修復工事を行った。」</title>
<description><![CDATA[<p>■もともとの作り<br />
もともとの作りは、とても丈夫だった。<br />
木造2階建ての普通の小学校である。<br />
木材にも手がこっていて質の良い木を使用していた。<br />
■宮城県沖地震の被害！！<br />
尋常小学校は、明治21年10月に建てられた木造2階建ての小学校である。<br />
そんな尋常小学校が出来てから、71年後に悲劇が起きる。<br />
71年後と言えば、昭和53年宮城県沖地震が起きた年です。<br />
この宮城県沖地震は、宮城県で最も大きい地震でした。<br />
尋常小学校は、この宮城県沖地震で、すごい被害を受けるが、崩壊まではいかなかった。<br />
■崩壊にならなかった理由？<br />
尋常小学校を作る材料は、ほとんどが木材だった。<br />
そんな尋常小学校を支えていたのが大黒柱だった。<br />
大工さんもベテランぞろいでより良い作りが出来たから、地震にも負けない作りが出来たのだった。<br />
■残そうとした町の努力<br />
尋常小学校は、なぜ2億3962万円を出してまで修復工事をおこなったのか、それは登米町のシンボルだからである。<br />
だから、2億3962万円を出して尋常小学校を修復したのである。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no127.html</link>
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<category>１組　復元教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:59:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.126「明治時代の登米の就学率は99％であった。」</title>
<description><![CDATA[<p>■尋常小学校は、年々就学率が増えた。<br />
1クラスの人数は30人～40人だった。<br />
大正～昭和初期にかけての日本全国の就学率は50％だった。<br />
大正~昭和初期にかけての尋常小学校の就学率は99％だった。<br />
■授業料は50銭<br />
尋常小学校の1ヶ月の授業料は50銭だった。<br />
5人家族の1ヶ月に食べる米代は約1円ほどだった。<br />
旧登米小学校の明治21年に5874円で建て<br />
られた。今の金額にすると、79498716円になる。<br />
当時の1000円とは、今の13000000円である。<br />
■教室での生活<br />
尋常小学校には、電気がなかった。<br />
窓を大きくして太陽の光で明るくなった教室で学習していた。<br />
真冬には角火鉢をたいて寒さからのがれていた。<br />
子供たちはゆかたを着て生活していた。<br />
教室には、オルガンがあった。<br />
■明治の教育<br />
戦時下には子供が減少したり、教科書のページや科目が減ったりした。<br />
■その後日本では義務教育がはじまった。<br />
明治の登米は就学率が99％を超えた、教育に熱心なとても豊かな町であった。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no12699.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no12699.html</guid>
<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:58:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.125「設計者が厳しすぎて、大工が夜逃げした小学校がある。」</title>
<description><![CDATA[<p>■山添のこだわり<br />
山添は、外見だけでなく中身や機能性も考えている。<br />
材料も選びに選びを重ねた物だけを、使っている。<br />
海外で学んだことが十分に生かされている。<br />
当時の｢擬洋風」から、｢洋風｣へと換えていった。<br />
■山添のこだわりは、どこに生かされているのか？<br />
バルコニーや、ガラスの周りの模様はとてもきれいで、目を奪われた。<br />
天井が高く、警察署内がとても大きく感じられた。<br />
とても考えられた造りで、警察署としての機能性もある。<br />
だが、中の階段が急で上りずらかった。<br />
■職人・業者の苦労<br />
山添は瓦を、一枚一枚重さや、吸水量を調べた。<br />
木材は、検査が厳重で多くのハネが出た。<br />
山添の建築に携わった業者は、つぎつぎにつぶれていった。	<br />
大工は洋風建築の工法になれていない上に、山添から無理な要求をうけた。家財をはたいて建築をしたあげく、ついには夜逃げした。<br />
■山添のこだわりが｢登米｣を残している<br />
登米が一番栄えた時代を支え、今に残したのは山添だ。<br />
山添が造った物が今でも残っていて、重要文化財になっていることから言えるだろう。<br />
警察資料館や、教育資料館は、修復工事などはしたが、昔のまま残っている。<br />
当時は、わがままと思われていた、山添のこだわりが登米の歴史を守っている。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no125.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no125.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:57:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.124「旧登米尋常の凹の字型は学校らしさをだすためだった。」</title>
<description><![CDATA[<p><br />
■旧登米尋常小学校の特徴（現在は教育資料館になっている）<br />
昇降口は、六角形半（三角形を三つにしたもの）になっている。<br />
凹の字型の校舎。<br />
上から下まで一本の柱でできていた。<br />
■凹の字型の前の設計<br />
建築者山添喜三郎はＬ字型にする予定だった。<br />
でも山添喜三郎結局は凹の字型のした。<br />
凹の字型の小学校には先生にも生徒にも凹の字型のほうが良い面が多いから建築者たちはそう決めた。<br />
それは学校という建物の実用性を考えられてる。<br />
■凹の字型のとりえ<br />
凹の字型なので生徒がどこにいるかがすぐ分かる。<br />
凹の字型なので直線が多くなるのでトイレに行きやすくなっている。<br />
Ｌ字型より凹の字型のほうが学校らしさがよくでるから。<br />
■旧登米尋常小学校の凹の字型は学校らしさをだすためだった<br />
凹の字型は設計者や教師やいろいろな人が生徒のために考えた優しさであった。<br />
そして教師には監視手助けする考えである、優しいだけでなく、生徒へのきびしさもかたちにでているものである。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no124.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no124.html</guid>
<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:56:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.123「登米伊達家の収入は、10万石」</title>
<description><![CDATA[<p>■登米伊達家の収入に詳しい方は、こう語る<br />
北上川から船ではこばれ、今の岩手県から登米にはこばれた。<br />
蔵造り商店街で集められたのだ。<br />
その数量を数えてみると2万1千石で明治時代になった。<br />
だけど2万1千石だったのだが本当は、10万石以上あった。<br />
■堤防の工事から良質な米が作られた<br />
北上川は氾濫がおおかった。<br />
家臣に野谷地を与えて新田開発をさせた。<br />
こうした努力の結果、仙台藩でも有数の地となったのだ<br />
■登米伊達家の収入が多かったのは初めからではない<br />
工事をする前は、氾濫が多くてひどかった。<br />
約6.7ｋｍの堤防を築いたのだ。<br />
工事をする前は、米が作れなかった。<br />
工事をしたあと、米が作れるようになって新田開発をさせた。<br />
■登米伊達家の収入は10万石もあった<br />
最初に聞いたのは、2万1千石だと言っていた。<br />
だけど登米懐古館で聞いてみたら、10万石以上あった。<br />
その話を聞いたら、最初はびっくりした。<br />
人々は、米を作って苦労したから、10万石以上の米を作ったのだと感心した。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no12310.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no12310.html</guid>
<category>登米伊達家</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:55:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.122「明治時代の洋風の建物がある」</title>
<description><![CDATA[<p>■旧登米尋常小学校と旧登米警察署について<br />
旧登米尋常小学校は、明治21年10月に建てられた、当時の洋風学校建築を代表する建物。<br />
特徴的なのが二階バルコニーで、校舎全体の中心的な位置にあり、シンボル的な役割を果たしている。<br />
旧警察署は、明治22年に建てられ、昭和43年まで登米警察署として使われた建物。<br />
旧警察署は、建てられてから警察員と消防士が何回も階段を上り下りしていた為、階段がすり減っていて急になってしまった。<br />
■山添喜三郎について<br />
山添喜三郎とは、1843年新潟生まれの優れた洋風建築家。<br />
山添喜三郎は新しい事が好きで、洋風建築は当時の新建築だったから。<br />
山添喜三郎は仕事に極めて忠実でその結果仕事に対しては、ずいぶんと厳しかったようで、今でも次のようなエピソードが語りつがれている。一つ目は、洋風建築の工事の厳しさから山添に恨みを抱く者がおり、検査のため屋根に上ったところ、梯子をはずされて昼食になっても、夕食になっても下におりられなくされたこともあったと言う。<br />
■山添喜三郎は、こうして洋風建築を伝えた。<br />
1872年、オーストリアのウェーンで行われた万国博覧会で優秀な成績を残したから。<br />
山添喜三郎は、日本独自の和風建築だけでは物足りなくて、和風建築の良さと、洋風建築の良さをミックスして擬洋風建築を伝えた。<br />
擬洋風建築とは、構造は洋風のしっかり物で外観が洋風であること。<br />
■尋常小学校は、現存する唯一の洋風建築の小学校だった。<br />
宮城県内で尋常小学校は一つしかなかった。<br />
尋常小学校の門は赤門の洋風建築だったが屋根は、和風建築だった。</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no122.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no122.html</guid>
<category>１組　山添喜三郎</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:52:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.121「登米では人や車はあまり通らない。」</title>
<description><![CDATA[<p>■登米の人口は6000人<br />
登米の人口は6000人でかなり人が少ない。<br />
だが、明治村と呼ばれるだけあって、明治時代に建てられた洋風建築も多く、立派な店蔵が建ち並ぶ。<br />
■昔は栄えていた<br />
川岸には石巻に向かうひらた船が停泊し、積み荷や米のほか、登米で醸造した味噌や醤油が多く、養蚕も盛んで、繭や繭糸が積み出された。<br />
川沿いには船で働く人たちを相手にする旅館や料理屋が軒を連ねた。<br />
■小学校の建設<br />
この建物を造ったのは建築家・山添喜三郎によって<br />
学校を建てるためにかかった費用は、建設費が3，500円、敷地造成費等を含めた総事業費5，874円、期間506日。<br />
資金はほとんど寄付によるもので生糸業・運送業・醸造業・商業・実業家であった。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no121.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no121.html</guid>
<category>登米町今昔</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:50:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>No.120「木の廊下と亜鉛版のバルコニーがある小学校がある」</title>
<description><![CDATA[<p>■登米町の教育資料館を詳しく調べてみた<br />
旧尋常小学校は登米で一番古い小学校である。<br />
現代は教育資料館として使われている。<br />
その校舎の中でシンボル的な役割を果たしている二階のバルコニー<br />
バルコニーは亜鉛版がしきつめられている。<br />
■木の廊下詳しく調べてみた<br />
廊下は吹き抜け廊下なっている。<br />
その吹き抜け廊下は、雨にぬれやすくとても腐りやすく亜鉛版をしきつめることにより腐食をふせいだ。<br />
廊下は、亜鉛版により腐食を守った。<br />
■バルコニーに亜鉛版<br />
バルコニーは一番雨のあたるところにある。<br />
亜鉛版は腐食をおさえる力がある。<br />
バルコニーは一番雨にあたりやすい所にあり腐食がおこりやすく亜鉛版によって腐食をふせいだ。<br />
バルコニーは亜鉛版によって腐食から守った。<br />
■旧尋常小学校は木の廊下と亜鉛版がしきつめてあるすごい小学校である<br />
旧尋常小学校は木の廊下全面に亜鉛版をしきつめ、少しでも腐らないようにした。<br />
昔の小学校は頭の知恵をうまくつかい、バルコニーを腐食から守ったすごい小学校なのだ。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no120.html</link>
<guid>http://www.sendai-c.ed.jp/~koriyama/user/Movable/archives/toyoma/2004/11/no120.html</guid>
<category>１組　教育資料館</category>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2004 11:50:02 +0900</pubDate>
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