2004年11月22日

No.635「当時の警察官の仕事は消防も含んでいた。」

■警察資料館の人はこう語る
はい、当時の警察官の仕事は消防も含んでいました。
それは明治2(1869)年~5(1872)年 の事です。
■詳しく調べてみた
明治2(1869)年~5(1872)年 公設消防
受負制度、府県の直営あり、必ずしも全国制一化された組織体制といえるものではなかった。
■この頃の現場指揮はすべて警察の手に委ねられていた
明治13年(1880)年東京府では消防を東京警視庁から分離し、内務省直轄の消防本部(現東京消防庁の前身)を設立するという画期的な出来事があった。
これが、現在いわれている『官設消防』制度の始まりであり、これをもって近代消防制度発祥とする説が一般的である。
消防を現場指揮する時の警察官の服装。
当時の警察官の服装と同じ。
消防を現場指揮する時の警察官は特別の服装が無かった。
■当時の警察官の仕事は消防も含んでいた
警察官が消防をするのは明治2(1869)年~13(1880)年 。
警察官が消防をするのは効果があんまり上がらなかった。

投稿者 koriyama : 09:16 | コメント (10)

No.632「登米警察署は明治中期の擬洋風建築として貴重な文化遺産となっている。」

■登米警察署について調べてみた。
登米警察署は明治22年に建てられ、昭和43年まで使われていた。
2階に吹き抜けのバルコニーがある。
昔の牢屋は木で出来ていた。
■牢屋について
牢屋はほとんど木でできていた。
昔の牢屋は木でできていていた理由は、鉄筋もコンクリートも無い時代で、当時、地元で調達できる資材は木材のみだった。
■登米警察署の歴史
登米警察署は昭和43年まで使われ、古くなり機能的ではなかったため、その後は水沢県庁記念館に建設したがさらに老朽化したため現在の警察署になった。
■昔の警察の仕事
昔の警察の仕事は警察だけではなく消防の仕事もやっていたことがわかった。

投稿者 koriyama : 09:13 | コメント (6)

No.625「明治の留置所は独房ではなかった」

■実際に体験してみた
当時は木造で作っていて留置所の中は、すごく広かった。
牢屋の中は、天井が高くはじに布がおいてた。
隅には、当時のトイレがありビックリした。
■一人ではなかった
独房(一人)ではなく何人か一緒で留置所にいた。
脱獄する人がいるかなぁと思って窓を見ると、高さがあり大きさはあんまり大きくありませんでした。
■ちょっと不安・・・
当時の留置所は、隅にトイレがあり夏になると留置所の中は、すごく臭かったらしい。
実際に留置所の中に入ると、ちょっとにおいがした。
それで、「臭い飯」という言葉も生まれた。
■明治の留置所は環境の悪い雑居房だった
悪い事をしたのでしょうがない。
しかし、部屋の中にトイレがあるということは寝る時も臭い、当時の悪い人は、ちょっとかわいそうだね。

投稿者 koriyama : 09:08 | コメント (12)

No.609「宮城県の登米町旧登米警察署の留置場は、木造である」

■旧登米警察署に詳しい方はこう語る
当時は、鉄節もコンクリートもない時代だったことと、当時地元で調逹できるものが木材しかなかった
建築者の山添喜三郎は、素材などのものにこだわっていた
旧登米警察署は今でも残る建造物である
■留置場の構造と中での暮らし
留置場の中は、石や木材などが使われ、トイレなども中にあるすばらしいできであったが、しかし部屋数が少ないため、留置場一部屋に付き何人かではいっていた
留置場のなかは、逃げるすきまもなかった
■警察署の中は
当時の面影を残している警察署は、中が少し壊れている
今も色々な人が来る大事な建造物である
■木造でできている警察署歴史に残るものだった
1889年(明治22年)に山添喜三郎の手で登米警察署ができる
木造の留置場は狭かったが一人一人入ることができなかった
しかし1968年(昭和43年)新庁舎ができ署としての役割を終えた

投稿者 koriyama : 08:58 | コメント (11)