2004年11月22日

No.328「山添喜三郎は外国で洋風の勉強をしていた」

No.328「山添喜三郎は外国で洋風の勉強をしていた」
■教育資料館、館長さんはこう語る
登米尋常小学校を手がけた山添氏は登米の洋風建築を手がけた人物である
天保14年、新潟で生まれる
大工としての腕は相当な物であった
明治5年から7年まで欧米していた
■山添氏はこうして外国に行った
明治5年、オーストラリアの万国博覧会に出張を命じられ
会場に日本家屋を建築し、日本の芸術のすばらしさを認識させた
翌年、イギリスで茶店、神社等を建て上げ、さらに土蔵も造った
そしてすべての任務を終えて明治7年、帰国した
■日本に帰ってきて
明治16年、工事監督として仙台に招かれる
仙台の工事を通して、建築家としての腕が高く評価される
そして明治18年、宮城の建築主任として迎えられた
明治20年には、登米村で小学校の新築が計画され、技師を担当した
■外国まで行った山添氏は宮城にたくさんの建築物を手がけた
明治24年、小学校完成
小学校のほかにも登米警察署などを登米に手がけた
そして宮城を永住の地として住んだ
山添氏がいなかったら今の登米の素敵な町並みはなかっただろう。

投稿者 koriyama : 11:27 | コメント (4)