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2004年11月24日

No.421「山添喜三郎は屋根に取り残されたことがある。」


■山添喜三郎について調べてみた
山添喜三郎とは明治5年29才の時にウイーンで開かれた万国博覧会に日本の建築を出品て好評をえるなど、若いうちからすぐれた才能を発揮した建築家である。
登米町に現在も残る、洋風の建築の代表作は「登米高等尋常小学校」や
「登米警察署」などです。
■山添喜三郎はこうして屋根に取り残された
工事の厳しさから山添喜三郎に恨みを抱く者がいて、検査のために上ったところ、梯子をはずされて昼食になっても、夕方になっても下に降りられなくなった。
他にも恨みを抱く業者から、ある時川の中へ人力車もろともほうり込まれたこともあったという。
■その他のエピソードは
山添喜三郎には、この2つだけではなくいろいろなエピソードが伝えられている。
瓦の吸水量のことで瓦屋が倒産したというエピソード
建築材料である木材も検査が厳重でそのため木材供給業者は家産をかたむけたというエピソード
■屋根に取り残された山添喜三郎はとても熱心な建築家だった
山添喜三郎は屋根に取り残されるほど、とても仕事に熱心だった。
このエピソードは山添喜三郎の妥協を許さない態度によって、はじめて今日まで残るすばらしい建築物が出来たものであるとして敬意と感謝を込めて語り継がれているエピソードである。
このトリビアをつくって山添喜三郎がとても熱心な建築家であることが分かってよかった。

投稿者 koriyama : 2004年11月24日 10:18

コメント

警察署と尋常小学校との関係が良く分かった。

投稿者 424 : 2004年11月24日 11:01

山添喜三郎についてすごく詳しく載っていたので分かりやすくとてもよかったと思います。

投稿者 423 : 2004年11月24日 11:03

山添喜三郎についてすごく詳しく載っていたので分かりやすくとてもよかったと思います。

投稿者 423 : 2004年11月24日 11:04

三郎さんは屋根に取り残されてかわいそうだなと思った。

投稿者 427 : 2004年11月24日 11:28

山添喜三郎がとても熱心な建築家で、恨まれて、屋根に取り残されたりしたけれど、今まで残るすごい建築物ができるまでのことが、詳しく書かれていて、すごいと思いました。

投稿者 408 : 2004年11月24日 11:28

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