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2004年11月24日

No.123「登米伊達家の収入は、10万石」

■登米伊達家の収入に詳しい方は、こう語る
北上川から船ではこばれ、今の岩手県から登米にはこばれた。
蔵造り商店街で集められたのだ。
その数量を数えてみると2万1千石で明治時代になった。
だけど2万1千石だったのだが本当は、10万石以上あった。
■堤防の工事から良質な米が作られた
北上川は氾濫がおおかった。
家臣に野谷地を与えて新田開発をさせた。
こうした努力の結果、仙台藩でも有数の地となったのだ
■登米伊達家の収入が多かったのは初めからではない
工事をする前は、氾濫が多くてひどかった。
約6.7kmの堤防を築いたのだ。
工事をする前は、米が作れなかった。
工事をしたあと、米が作れるようになって新田開発をさせた。
■登米伊達家の収入は10万石もあった
最初に聞いたのは、2万1千石だと言っていた。
だけど登米懐古館で聞いてみたら、10万石以上あった。
その話を聞いたら、最初はびっくりした。
人々は、米を作って苦労したから、10万石以上の米を作ったのだと感心した。

投稿者 koriyama : 2004年11月24日 11:55

コメント

とても分かりやすく、詳しく書かれていた。
山添喜三郎のことも詳しく書かれていたので良いと思う。

投稿者 120 : 2004年11月24日 14:37

とても分かりやすく、詳しく書かれていた。
山添喜三郎のことも詳しく書かれていたので良いと思う。

投稿者 120 : 2004年11月24日 14:37

登米伊達家の収入は、10万石だという私でも調べられなかった難しい調査も(調べたこと)詳しく、調べてありとても良く分かりました。

投稿者 107 : 2004年11月26日 13:39

とても、分かりやすくて良かったです。

投稿者 127 : 2004年11月26日 13:50

詳しくて良いと思う

投稿者 120 : 2004年11月26日 14:08

詳しく書いてあっていいとは思いますが、もう少し簡単な易しい言葉で書いたほうが良かったと思います。

投稿者 106 : 2004年11月26日 14:09

とてもわかりやすいと思います。登米町にいた人はがんばってお米をつくったんですね。

投稿者 135 : 2004年11月26日 14:14

文が読みにくいので、漢字に直せるものは直した方がいいと思います。

投稿者 112 : 2004年11月26日 14:14

10万石もつかっていたなんてすごいね。

投稿者 104 : 2004年11月26日 14:16

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