上巳の会
 「上巳の会の歴史」
上巳の会の始まり 
片平丁小学校の伝統行事「上巳の会」(正式にはじょうしの会)は,「上巳文芸会」として大正3年(1914)3月3日に始められた。当時の片平丁小に通う児童は全体的に質素であり,貧しい家庭に育っている児童も少なからず,ひな人形もあまり持っていなかった。そこで,学校にひな壇にひな人形をかざり,「文芸の集い」を開いたのがその始まりであった。
内容と会場
(戦前)
戦前の「じょうみの会」は女子児童だけのものであった。今も続いている「正月は正月は」のまりつきのほか舞踊・劇・ピアノなどが演じられた。そのころの卒業生の思い出の第一番は「上・会」というように三学期になると練習を始め,後々まで残る会になったようである。
会場は,講堂がなかったので,教室の間仕切りをはずして行った。しかし,手狭なので,大正13年(1924)から西公園にある公会堂の新館(洋館・大正5年建 天文台前あたり)に会場を移して開かれた。
昭和14年(1939)に講堂落成。
(戦後)
終戦後,男女同席の教育が始まり,「上・の会」も男女一緒に行うようになった。昭和23年(1948)の校舎焼失により焼失したひな壇も,PTAバザーによる寄贈で昭和29年3月3日から飾られるようになった。講堂がなかったので三教室を通して講堂がわりにし,「ひな祭り学芸会」を開いていた。一日目の午前は低学年,午後は高学年,次の日は父兄が観るので同じ演技を三回していた。ピアノ・舞踊などの家での習い事の発表のような演技もしていた。その中でも「お手玉と手まりの数え歌(正月は正月は門に門松〜)は同窓生に忘れられない歌になっているようだ。
◇ 昭和35年(1960)に体育館が完成
◇ 昭和30年代の終わりの頃から一年生の「ひな祭りの劇」が始まり,担任の先生は和紙で衣装作りをした。六年生の「お手玉と手まりの数え歌(正月は正月は門に門松〜)は上巳文芸会の始まった大正時代から現在までずっと続いている。
六年生は三学期になると時間を惜しんで「お手玉と手まり」を練習していた。全校で手作りのひな人形を学級ごとに作っていたこともあった。
現在も「上巳の会」は昭和三十年代の終わり頃からの内容をやや簡素化した形で続いている。

片平丁小90周年誌・100周年誌・松浦先生の「片平のあゆみ」から
 
 
平成23年度「上巳の会」 24年2月23日(木)
(1) 開会の言葉(上巳の会の紹介) 6年代表         
(2) 「うれしいひなまつり」    全校           
(3) 校長先生のお話                     
(4) 伝統遊びの紹介 各学年代表              
  こま,けん玉,はねつき,お手玉,かごめかごめ,なわとび
(5) 「正月は 正月は」       全学年         
(6) 伝統芸能の鑑賞                    
(7) 閉会の言葉 5年代表                  
  
            

 
  

 1年「かごめかごめ他」  2年「けん玉」  3年「はねつき・ゴムとび」 4年「まりつき」
5年「なわとび」 6年「こま」 伝統芸能の鑑賞
「雅楽」宮城野雅楽会の
みなさんの演奏