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朴沢学園裁縫教育資料

近代裁縫教育の展開をたどり得る,裁縫教育関係の歴史資料

ほうざわがくえんさいほうきょういくしりょう

朴沢学園裁縫教育資料

Hozawa Gakuen Saiho Kyoiku Shiryo

In English
指定区分
Classification
仙台市指定 / 歴史資料
年代
Age
複数年代

Quantity
一括
指定年月日
Designated Date
平成23年(2011) 07月01日

所在地
Location

仙台市青葉区川平二丁目26-1
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解説
Description

 学校法人朴沢学園に伝来する裁縫教育資料である。朴沢学園は,明治12年(1879)朴沢三代治(ほうざわみよじ)が女子の裁縫学校として,良覚院丁1番地(現青葉区一番町二丁目)に開設した松操私塾(しょうそうしじゅく)に始まる。
 三代治は文政6年(1823)に仙台藩士の家に生まれ,藩校養賢堂に学んだ後,軍服・官服の裁縫技術を修得し,廃藩置県後はその技を生かして仕立て業を営みながら士族子女等に裁縫を教授する一方,明治10年には仙台琢玉(たくぎよく)小学校(現市立立町小学校)の裁経科助教,県立宮城師範学校の裁縫教員として迎えられた。.
 松操私塾は,女子の就学率向上を目指し,裁縫という実学の導入が採られていた時代背景の下,独自の教授法により女子の裁縫教員を養成するねらいで開設され,その裁縫教育は,掛図・教科書による裁縫理論の教授と,部分縫い・雛型製作による専門技術の鍛錬を特徴とする。県内のみならず全国に裁縫教員として活躍する卒業生を輩出し,女子教育の向上に果たした役割は,明治14年創立の渡辺学園(現東京家政大学)と並ぶ裁縫教育の双壁として高く評価されている。
 本資料は,初代朴澤三代治が自ら裁縫教育の教授用に製作・編纂した掛図及び教科書と,昭和戦前期まで同校で作成・購入し,使用された同類の教材,附としての課題研究提出物及び研究会記録類の学習資料から成る。
 掛図類の一部は,昭和11年(1936)師範学校高等女学校教員無試験検定許可学校としての許可を文部省へ申請する際に,点検・整理された経緯がある。
 「明治二十三年一月」の記載がある「凡例」及び「教授用結物(むすびもの)見本」は「宮城県仙台松操学校出品」と題した16点を含むことなどから,同年開催の第3回内国勧業博覧会に出品された掛図のまとまりと推測される。
 明治15年に静雲堂から出版された「衣服名称掛図」は初代三代治の製図で,近代の裁縫教育は,掛図の使用により,師匠から弟子へ個別に指導される教授方法から, 多人数を対象とした一斉教授の方法へと転換を遂げたと言われている。裁縫掛図の伝来が全国的に稀少な状況にあって,当学園所蔵の掛図は,近代裁縫教育の教授法及び教育内容を解明する上で,貴重な歴史資料である。
 教科書類のうち『裁繕教授書』,『小学裁縫教授書』は,初代三代治により編纂されたものであり,明治17年に文部省指定の小学校教科書として採用され,全国の裁縫教育の現場で使用されるなど,高い評価を得たものである。
 本資料は,教授用資料に加え,附として課題研究提出物及び研究会記録類など生徒の学習資料をも指定の対象に含めることで,朴沢学園における裁縫教育の全体像を包括的に知り得る教育資料と位置づけられるだけでなく,初代朴沢三代治に発した近代日本の裁縫教育の展開を,その初発からたどることのできる重要な歴史資料となるものである。

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