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与兵衛沼窯跡

奈良時代から平安時代にかけての窯跡。貞観地震復興期の瓦を製作か。

よへえぬまかまあと

与兵衛沼窯跡

Yoheenuma kama-ato

種別区分
生産遺跡
年代
奈良時代 平安時代
面積
134,300㎡

所在地

宮城野区小松島新堤ほか
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解説

与兵衛沼窯跡は,市の北部にあり,JR東仙台駅の西約2kmに位置する。窯跡は台原・小田原丘陵の南斜面,与兵衛沼・新堤沼の北岸にあり,標高は40~70mで,面積は約134,300㎡,遺跡の範囲は東西方向に約1kmにもおよぶ。与兵衛沼窯跡を含む台原・小田原窯跡群は,多賀城跡・多賀城廃寺・陸奥国分寺・陸奥国分尼寺などに瓦や須恵器を供給した東北最大級の窯跡群とされており,これまで分布調査や発掘調査で幾つかの地点で窯跡が確認されている。中でも平成18年(2006)と19年に実施した,都市計画道路「川内・南小泉線」の建設工事にかかわる調査で,窯跡の実態が明らかとなった。窯跡群は新堤地区と蟹沢地区に分けられ,新堤地区では平窯2基,窖窯(あながま)7基が検出された。2基の平窯は焼成部から燃焼部の長さが4.8mと4.3mあり,構造は半地下式有牀(ロストル)のもので,この構造をもつ窯跡は神明社窯跡A地点(蟹沢中瓦窯跡)に次ぎ,2例目の発見である。時期は平安時代初めの多賀城Ⅳ期に位置付けられる。窖窯の規模は全長5.3~6.9mで,構造は半地下式無階無段(多賀城Ⅲ期)と有階無段(多賀城Ⅳ期)である。貞観11年(869)の陸奥国大震災により国府多賀城や附属寺院が被害を受け,律令政府は「陸奥国修理府」を設置し,震災復興にあたった。新堤地区の平窯や窖窯(あながま)は,復興のための瓦を製作した窯と考えられる。また蟹沢地区西地点では半地下式無階無段窖窯の5基が発見された。一部の窯跡から須恵器が出土したことから,瓦陶兼業窯と考えられ,時期は多賀城Ⅲ期とみられる。蟹沢地区東地点では半地下式の有階と無階の無段窖窯が合計8基発見された。時期は多賀城Ⅱ期とみられる。これらとは別に平成24年に蟹沢地区南地点の調査では,多賀城Ⅱ期とみられる13基の窯跡が発見されており,本窯跡では奈良時代から平安時代にかけて一貫して瓦製作が行われたことが判明した。

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