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岩切城跡

中世の大規模な山城跡。仙台地方で勢力を持った留守氏の居館。

いわきりじょうあと

岩切城跡

Iwakiri jo-ato

種別区分
城館跡
年代
中世
面積
397,500㎡

所在地

宮城野区岩切字入山ほか
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解説

岩切城跡は,市の北部にあり,JR岩切駅の北西1.3kmに位置する。仙台市と利府町にまたがる大規模な山城である。中心部の東西約600m,南北約650mの範囲が,国史跡に指定されている。最も高い所で標高約106mあり,七北田川下流域の平野を眺望できる。遺跡の面積は約397,500㎡である。現状は,城跡の中核部分が公園として整備され,そのほかは大部分が山林となっており,城跡の各所で堀切が整備されている。昭和10年(1935)の発掘調査により柱穴が多数発見され,城に関わる建物の存在が明らかになった。初めて文献に見えるのは,観応2年(1351)岩切城にたてこもる足利尊氏方の奥州管領畠山高国,国氏父子と留守氏を,足利直義方の奥州管領吉良貞家が攻め滅ぼした戦いの記載で,全国的な内乱であった観応の擾乱(じょうらん)の地として知られる。留守氏の居城とされ,戦国時代の留守氏当主は岩切城のある高森山に由来して高森殿とも呼ばれた。留守氏が利府城に移った永禄13年(1570)廃城になったとされる。東北地方における典型的な中世城館跡である。

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