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泉崎浦遺跡

縄文時代から近世にかけての複合遺跡。近世の墓壙群より多数の副葬品が出土。

いずみざきうらいせき

泉崎浦遺跡

Izumizakiura iseki

所在地

太白区泉崎1丁目
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解説

泉崎浦遺跡は,市の南部にあり,JR長町駅の南西約1.5㎞に位置する。広瀬川と名取川によって形成された後背湿地と,その中にある微高地にかけて立地する。標高は10~12mで,面積は45,000㎡である。遺構・遺物は,縄文時代では後期初頭の土坑と土器が,弥生時代では水田の畦畔(けいはん)と,弥生土器,石器などが発見された。畦畔は大畔である。弥生土器は桝形囲式のもので,石器には大形板状石器も見られる。古墳時代の遺構としては中期の南小泉式期の竪穴住居跡と土坑,溝跡,遺物包含層が,遺物としては土師器,須恵器,石器などが発見された。中には5世紀にさかのぼる可能性のある須恵器も出土している。溝跡には畑跡と考えられる小溝状遺構群もある。平安時代の水田跡からは,畦畔と足跡が発見された。水利施設と考えられる溝跡が畦畔に沿って見られるものがある。足跡は人と牛のものであるが,不規則に多数見られ,農作業に関係したものであるかは不明である。江戸時代の遺構としては墓壙(ぼこう)や井戸跡などが発見された。墓壙は31基あり,北東-南西方向の畦畔に区画された一画に密集している。いずれも土葬墓で,木棺や桶の残っていたものは7基だけである。木棺は一辺が50~60㎝の正方形で,深さ30~50㎝。桶は直径45~50㎝,深さ40㎝程である。副葬品には箸一膳をのせた大堀相馬焼の茶碗や肥前焼の皿などの陶磁器,提灯(ちょうちん)や漆器,折敷(おしき),数珠玉,鳥形木製品,櫛,煙管(きせる),寛永通宝などがある。煙管や寛永通宝には17世紀にさかのぼるものもあり,江戸時代全般にわたる墓壙群であると考えられる。箸と茶碗の組み合わせ・提灯・鳥形木製品など,当時の葬送儀礼に関連した遺物が副葬されていたものと考えられる。当時の屋敷墓か,村の共同墓地の一部かは周辺の遺構との関係が明確になっていないため不明である。井戸跡や竪穴遺構からは手桶や香炉形の土師質土器が発見されている。

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