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「秋保」という地名について          
馬場地区のある「秋保町(あきう)」という地名の由来には多くの諸説があります。
@平安時代に治めていた「藤原秋保」という人物説。

A詩経・易経にある「百寿ノ保ツレ秋ヲ」という長寿説。

B秋保大滝は秋保の象徴であるが,アイヌ語では滝のことを 「アボ」という説。
C秋の景色が特に優れているという説。
「秋保」の名は古くから知られており,「古今和歌集」「新古今和歌集」などにも「秋保の里」と詠われています。秋保の同時同音の地名は全国に見あたりませんが,福井県に「秋生」と書く「あきう」があります。


                                                                                     

秋保町について

秋保町は,東から湯元村・境野村・長袋町・馬場村・新川村の「秋保五か村」あるいは「秋保郷」と総称されてきて地理的にまとまった地域です。名取川の渓流沿いに街道が走り,二口峠を越えて羽州という地域に連結しています。陸路の物資輸送が人馬の背に頼っていた時代には仙台〜山形間の最短距離コースとして交通量も多く,峠下の「野尻地区」には足軽が集住して境界の警備に当たっていたそうです。ですが,関山峠の開通により交通業で栄えていた秋保村も炭焼き中心の農山村へと転じてきます。

 
「壇ノ浦」に滅んだ平家一門の残党が,秋保村へ土着して五か村の支配者となり,姓を「秋保」と改めました。戦国時代末期大名,伊達氏の配下に属した後もしばらくは各部落に割拠し,後仙台藩の領地となり各村に肝煎,宿駅に検断がおかれるようになりました。
 明治維新後,五か村と茂庭村となりましたが,馬場と新川,長袋と境野,湯元と茂庭にそれぞれ戸長役場が設けられ,昭和22年「秋保村」となりました。
 その後,町村合併により新川・奥新川部落が宮城村に合併,昭和42年町制が敷かれて「秋保町」に,さらに昭和63年3月に仙台市に吸収合併され現在の「太白区秋保町」となりました。


大滝探訪   
秋保大滝は「日本三大名爆」の一つにあげられ国指定名勝です。  鳥居を抜けて奥の「不動尊」を目指します。隣にはレストハウスやそば屋,おみやげ屋さんがあります。また,駐車場の脇には植物園もあり,ゆっくり自然に触れることのできる場所です。  不動尊は鳥居を抜け,すぐの場所にあります。大滝には神木であるイチョウの木(樹齢350年)の脇道から行くことができます。 秋保大滝は展望台から眺めるだけでなく ,滝壺のすぐそばまで行って見ることもできます。最近流行の「マイナスイオン」を浴びるなら最高の場所です。展望台の脇には地元で有名なお豆腐屋さんが茶屋を出しています。    



大滝探訪   
 馬場の田植え踊り。大滝で毎年踊られます。 滝原の顕拝。田植え踊りと同じ日に
踊ります。重要無形文化財です。


大滝探訪 
↑ 夫である義経が平泉で果てたことを知った静御前は,馬場と長袋の境で悲しみのうちに亡くなったと言われています。写真は静御前が亡くなった後にその死を弔う意味で立てられたとされる石碑です。(一番左) ↑野尻の「釜淵」です。ここには昔河童がいて悪さをしたと言われています。多くの力自慢たちが河童にやられ,この川底に引きずり込まれたそうです。野尻・二口に向かう道は今ではきれいに整備されています。美しい紅葉も楽しめる場所です。 ↑秋保の城,長舘跡です。近くには当時の家老職にあった方の家が残っています。残念ながら,お城は見る影もありませんが,当時中庭にあったとされる木々が残っており,印象的でした。今の当主は31代目だそうです。
↑大滝不動尊の開祖とされる知足上人が母親の眼病を治そうとしてから,最後滝壺に身を投げて亡くなるまでの経緯が書かれています。馬場には上人の子孫もいます。
↑車内から撮ったので反射してしまっていますが,これは「ばんじばんざぶろう物語」で有名な「逆さ竹」です。鬼屋敷に住み着いた「鬼」を退治するために磐司岩から放った矢が,そのまま根付いてしまったと言われています。 ↑通称「眼鏡橋」です。秋保石で作られたアーチ型の橋です。現在は使われていませんが,秋保地区の名所の一つとして大切に保存されています。





秋保「馬場」について