二瓶 博さん 

二瓶さんは秋保馬場の生き字引のような方です。とにかくお持ちになっている資料がすごい!!ご自宅は今でも馬小屋が家屋の中に残されているなど当時からの趣を残した造りになっています。一昨年度の「馬場から平和を考える」の時の学年もかなりお世話になった方です。

Q.馬場にはいつ頃から住んでいらっしゃるんですか?
A.70年くらい前です。

二瓶さんは色々な
資料をとっておいて
くださいます。

二瓶さんのお宅には現在も
たくさんの貴重な資料がおか
れています。大半は仙台市
歴史民俗資料館におさめら
れたそうです。一昨年度は大
根きり機をお借りして大根飯を
作って食べました。



Q.二瓶さんのお宅では馬を飼っていらしたんですか?

A.飼っていましたよ。玄関の向かい,廊下をはさんだところが馬屋の跡です。

  (みんなで見せてもらっちゃいました。)
      



Q.どうして馬屋が家の中にあるんですか?
A.昔の馬は家族と一緒だったんですよ。だから同じ屋根の下で寝ていたんだね。
ここだと寒さもしのげる,馬の様子もわかる,食べた残したものとかをすぐ馬にやれるといった良い点がたくさんあったからです。




Q.馬のエサってどうしていたんですか?
A.ほとんどは夏に取っておいた草だね。馬はずいぶん食べたからね。屋根裏の半分は馬の食べる草でいっぱいでしたよ。



Q.屋根裏があるんですか!?見てみたい!見せて頂けますか?
A.いいですよ。↓このハシゴを使ってどうぞ。
      
(娘さんの協力を頂いて屋根裏に。当時屋根裏は馬の飼料置き場としてだけでなく,養蚕場でもあったそうです。)
        

大正14年  二瓶さんのお宅の前で繭の出荷を前に撮られた写真だそうです。
   
写真下にある皿のようなものに入っているのが繭です。馬場では当時養蚕は貴重な収入源の一つでした。




Q.馬は主にどんなことに使われていたんですか?
A
.主に農耕用です。後は運搬用ですね。馬場から「木炭」を大量に積んで仙台の中央や長町あたりに運んでいったんです。



Q.では馬がいたということは,会津のように馬刺しを食べたんですか?
A.食べることはありましたが,あくまで死んでしまったり,調子が悪くなった馬だけです。食べることを目的にはしていませんでした。



馬については→馬と馬場の関係をご覧ください。









中野 ときゑさん
秋保の「食」について長年かかわってこられた中野さんは,雪国「馬場」の非常食についてたくさんの知識をお持ちです。また,何十年前から食べられていた馬場の行事食を一年間通して家庭でお作りになるなど,様々な試みを続けられております。


Q.いつぐらいの馬場の昔についてお話していただけますか?
A..150年前から戦後にかけてのお話ができますよ。


Q.会津には天ぷらまんじゅうというものがあるそうですが,馬場にも昔からあるお菓子ってありますか?
A.そうですね。馬場独自のものというわけではないと思いますが,当時貴重だった砂糖の代わりとしてよく作っていたものはありました。大麦と芽だし(もやし)を干し,乾燥させて粉にして煮詰めるんです。そしてその煮詰めたものから,かすをしぼってしぼってでてくるどろどろしたものをアメとして食べていました。
中野さんのお宅には大麦が玄関先に飾ってあります。


Q.(そのアメは)手間がかかりそうですね。
A..そうですね。時期も大切ですしとても時間がかかりますからね。



Q.馬場で天ぷらといえば何ですか?
A.山菜が多いですね。めずらしいところでは「柿」の天ぷらでしょうか。



Q.柿を天ぷらにするんですか?
A.干し柿を天ぷらにしましたね。ほんのり甘くておいしいんですよ。



Q.昔から馬場に伝わる郷土料理ってあるんですか?
A.ありますよ。たくさんあります。行事ごとに風習があって,それにならって料理して食べましたね。例えば今ではありませんが「納豆を作る日」や,蛇の脱皮がみられる6月の「向けの朔日」にはこれを食べるみたいに決まっていたんです。



Q.有名なものは何ですか?
A.「柿なます」(砂糖の代わりに干し柿を使ったなますのこと)などでしょうか。あとは「干し芋」「干し餅」など保存しておけるものがたくさんありました。
中野さんが作って保存しておいた干し餅→
干し餅はごま・餅・里芋・食油・卵・砂糖で作られています。これを油で揚げると↑せんべいのようになります。中野さんはわざわざ揚げて持ってきてくださいました。




Q.どうしてそんなに保存食ばかりなんですか?
A.馬場は昔から雪がよく降る場所でしたからね。今のように簡単には食材が手に入らなかったからかもしれません。どうやって食べていこうかと長い目で食料のたくわえをする必要があったんですよ。






中野 紀代恵さん

馬場にはたくさんの行事があったそうです。伝統的な食事の取り方,お年取りの仕方,今ではなかなかできないこと,考えられないようなことも当時の馬場では行われていたことを教えてくださいました。


Q.何年くらい前のお話を聴かせていただけますか?
A.60年前くらいですね。



Q.小さい頃食べた馬場でお菓子といえば何ですか?
A.「ポン菓子」ですね。年に2〜3回ほど馬場にポン菓子を作ってくれるおじいちゃんが来てくれていたんです。大きな機械を積んであるリヤカーといっしょにね。その機械のところに行ってトウモロコシやら米やら餅やらを渡すわけです。すると,それらを機械に入れて爆発させてポップコーンやポン菓子を作ってくれたんです。確か野菜や米と物々交換だったような気がします。



Q.砂糖はなかったんですよね?
A.ありましたが,極端に少なかったんです。当時はサッカリンというのをかけていましたよ。

「馬場にはたくさんの
風習があったんです」
たくさんの面白い話を
聞かせてくださいまし
た。感謝!!




Q.馬場の「行事食」「風習」について教えてください。
A.馬場にはたくさんの風習があって,たとえば分家と本家の立場などとても大切にされてきたんですよ。年末の「お年取り」には分家で作った料理をみんなで本家に届け,「今年も無事終わり来年を健康に迎えられそうです」と報告しました。そしてその後本家が作って持ってきてくれた料理をみんなで食べるなどしていましたね。

今でこそ,好きなものを好きなだけ食べられる世の中になりましたが,昔はそうではありませんでした。食べるものが季節というか旬に合わせてきちんと決まっていたんですね。それがきちんと語り継がれ残されてきて「行事食」となったんでしょう。「きんぴらゴボウ」ってあるでしょう?普通はゴボウとニンジンを細く切って炒めるんですが,馬場ではゴボウをかなり太めに切って甘じょっぱく煮るんです。これも食べる時期が決まっていましたね。




Q.中野さんのお家では醤油や味噌も造っていたとお聞きしましたが?
A.はい。今では味噌だけですが醤油も造っていました。今の醤油みたいにサラサラしていないもっとドロドロした感じの醤油でした。



齋藤さん

齋藤さんは戦後の食糧難時代からの馬場の生活について教えてくださいました。ソバの食べ方,当時の甘いものはどうしていたかなど,私たちが当時知ることのできなかったことをたくさん知ることができました。

Q.いつぐらいのお話を聴かせて頂けますか?
A.60年前くらいですね。



Q.会津には天ぷらまんじゅうというものがあるそうです。馬場ではどんな甘いもの,お菓子を食べていたんですか?
A.はい。馬場では「ポン菓子」や,甘くはありませんが「せんべい」などがお菓子として食べられていましたね。砂糖は配給でしか手に入らなかったので,甘いものといえばサッカリンをかけたものばかりでしたね。せんべいはあまくはありませんでしたが,味噌をぬったりして少しでも味をつけようと努力したのを覚えています。

とにかくほとんどのものが配給でしたからね。たばこも砂糖も衣類も。戦後は物がなくて本当に困りましたね。



Q.自分のうちでせんべいを焼いていたんですか?
A.型があってそれを使って焼いていました。自分で焼いていたんですよ。


齋藤さんは戦後の
厳しい物不足につ
いて語ってくれました。
齋藤さんご協力あり
がとうございました。



Q.「そば」を良く食べたということですが,どのようにして食べたんですか?
A..「そばねっけ」などして食べましたね。「そばねっけ」は,お湯の中にそば粉を少しずつ入れてかましながら作ります。味噌をつけたり,ごまやじゅうねんを混ぜたりして食べました。



Q.私たちは「そば」というとそばつゆを思い出すんですが,そばつゆはなかったんですか?
A.そばつゆはないですね。ただ,カジカかなんかで出汁をとっていた記憶があります。また,今のそばつゆの代わりに「味噌だれ」のようなものに付けて食べた記憶もあります。







二瓶 久さん
二瓶さんは蕎麦(そば)どころ野尻地区の蕎麦名人です。昨年度から蕎麦作りに関してたくさんのご協力を頂いております。2〜3年生の蕎麦打ち体験では野尻地区のおばあちゃんたちを連れてきて教えてくださったり,今年度もわたしたち6年生にたくさんのアドバイスをくださっています。



Q.そばの育て方について教えてください。そばはいつごろまけばいいんですか?
A.土用に入ってから3.4日たったあたりですね。今年は7月の25日あたりかな。その日より前すぎても駄目だし,その日より遅いと芽が出ないなんて事もありますね。



Q.そばはどうやってまくんですか?水はどの程度やればいいんですか?肥料は?
A.昔の話をしますが,昔そばは「人糞(人のおしっこや便)」といろりの中の「灰」に混ぜてまいていたんです。今は良い肥料がありますから農協に相談するといいとおもいます。それとそばには水をまくなどの手入れは一切必要ありません。まず,畑を十分にかます。そして種をまく。最後に青草をそこら中にまいて雑草が生えてこないようにする。それだけで十分です。



Q.そばはすごいですね。
A.そうですね。ですが採るタイミングや採ってからの作業は難しくて大変です。乾燥や臼でそばをひくなど,当時からとても手間がかかりました。

そばについてたくさんの知識をお持ちの二瓶さん。 「この葉は天ぷらで食べられるよ」


Q.どうしてそばは野尻地区に広まったんでしょうか?
A.野尻地区は標高でいうと300m近くある場所です。馬場地区よりも少なくとも2℃程気温も低いと思います。また,すぐ横には山形の県境である二口峠があり,大東岳から吹き下ろす風は冷たいです。昼と夜の気温差も激しい場所です。実はこれがそばにとって良いみたいです。みなさんが行ってきた会津も盆地です。蕎麦(そば)どころとして有名な信州もやはり盆地で,昼と夜の寒暖差がはげしいんですね。そばにはそういった気候が合っているようです。つまりこういった理由で,野尻でも米は作りますが,そばの方がずっと育ちやすいので広まったんだと思います。


Q.そばの食べ方について教えてください。
A.そばねっけが多かったように思います。あとは田楽かな。そばを餅のようにして串にさし,味噌をたっぷり付けて焼いて食べましたね。



Q.お菓子などにもそばは使われていましたか?
A.はい。甘いものは貴重でしたから,おいしくたくさん食べる方法はみんなで考えましたね。そばでまんじゅうの皮を作ってその中にあんこを入れるんです。そしてそのままいろりの灰の中につっこむんです。しばらくすると香ばしい「そばまんじゅう」ができるんです。灰をほろって食べましたね。



祖父母参観に集まってくれた私たちのおじいちゃんおばあちゃん
9.20の祖父母参観には私たちのおじいちゃんおばあちゃんたちがきてくれました。おじいちゃんおばあちゃんたちに,昔の馬場の食事,特に行事食について聞きました。
      


Q.馬場の秋の行事食といったら何ですか?
A.「そうですね。馬場の秋の行事食といったら,やっぱり「栗ふかし(栗ご飯)」ですかね。」
  「赤飯もたくね」
  「煮しめ(煮物)も作るよ」


Q.煮しめというのは『向けの朔日(むけのついたち)』で,私たちが作ったようなものですか?
A.「その時期によります(野菜の種類が変わるということ)が,必ず作るよ。」


Q.もう少し経つとお正月ですが,馬場で特に食べていたものなどありますか?
A.「魚ですね。」
  「魚はなかなか食べられなかったからね。」
  「塩鯨(しおくじら)というのを食べていました。あのころはごちそうでした。」
  「塩釜という港から自転車に木箱付けて売りに来たんだよ」
  (塩釜は秋保の馬場までは50q近く離れています)



Q.お雑煮なども食べましたか?
A.「いや昔はほとんど食べられませんでした。」
  「餅が食えれば良かった時もあったね」
  「食べられるようになってからは,大根・にんじん・ごぼうなど入れて食べました。」
  「あと,せり・三つ葉,お餅を入れて食べていますね。食べてるでしょう?」



Q.私たちが調べたところ,仙台のお雑煮は『ハゼ』を使ってダシをとるのが普通のようなのですが,馬場ではどうですか?
A.「うちはかつお節です。昔,行商の人が大きなかつお節を売りに来たんですよ。それをそれぞれの家でけずって使っていましたね。」
  「うちもかつお節です。今みたいにきれいにけずられたのは売っていませんでしたよ」
  「うちはトリですね。」


Q.どうして同じ地域なのに違いがあるんですか?
A.「トリを使うのは野尻地区です。昔,野尻から二口渓谷にかけて鉄砲撃ちをしていた人が多くいたから,トリ(ヤマドリ)が手に入りやすかったんです。」

      

Q.以前斎藤亨さんにお話を聴いたとき,カジカという魚でダシをとって,ソバの付け汁にしていたというのを聞いたんですが・・・
A.「昔は下の川(名取川)でよくとれましたからね。確かにダシにしていた家庭もありましたよ」
  「でもお雑煮には,カジカは使わなかったと思うねえ」

  

Q.お正月になると馬場地区は雪がたくさん降りますが,昔は食材をどうやって手に入れていたんですか?
A.「保存していたんですよ。野菜なんかはほとんど雪の中に。」
  「あと干し餅とか,干し柿とか秋のうちに用意しておくんですよ」



Q.では雪が降って食材が手に入らないということはなかったんですか?
A.「ないですよ。必要なものはほとんど家で作ってたくわえていましたからね」
  「でも保存の利くものばかりでね。塩辛いものや乾燥させたものが多かったよ」



Q.今度は調味料について教えてください。砂糖や塩はどうしていたんですか?
A.「塩は買っていましたよ。馬場にも塩を専門に売っているお店がありましたからね。」
  「昔は専売制だったんだよ。たばこもね」
  「戦争中は配給でももらっていたけどね」
  「砂糖なんてめったに食わんなかったな」



Q.砂糖の代わりにサッカリンというのを食べたと聞きましたが・・・
A.「サッカリンもめったに手に入らんかったよ。あるにはあったけど」
  「サツマイモをつぶしてあんこの代わりみたいにしていましたよ。」
  「そうそう。ソバまんじゅうの中に,あんこの代わりにサツマイモを入れて食べましたよ」

     
  
    連合町内会長さんまで来てくださいました。



Q.味噌やしょうゆは?
A.「手作りです。どのうちでも作っていたと思いますよ。」
  「3樽くらいつくっていたよ。何でも味噌をつけて食べていましたからね」
  「山仕事には味噌おにぎりと,太いきゅうり1本。味噌を付けて食べました。」



Q..最後にソバについて教えてください。ソバはどのようにして食べましたか?
A..「そばねっけですね。」
  「あと,そばまんじゅう。」


Q.味噌だれというのはどのようなものですか?
A.「多分甘いタレのことだと思いますよ。よく田楽なんかにつけるやつです。」
  「汁っぽさはなかったと思うよ」


最後にわざわざ6年生教室に顔を出してくださった連合町内会の会長さんから,6年生のソバ作りに全面的に協力するというお話をいただきました!!機械の手配から,製粉化するまで,二瓶さんと共に見守ってくださるそうです。ありがとうございます!!

そして,来てくださったおじいちゃんおばあちゃん,ありがとうございました!!!






中野 ときゑさん
二瓶 博さん
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斎藤 亨さん
中野 紀代恵さん
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太田 とめさん
二瓶 久さん
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私たちのおじいちゃんおばあちゃん
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